戦争で、東京の本家は無くなった。
父ほ戦場に、兄2人と姉一人、戦場となった外国で死んだ。
敗戦が水面下で囁かれる終戦直前、
軍医だった父と、戦地に同行していた母を
母の父、、、私にとったら祖父が、
韓宇連絡船に乗って、
戦地まで娘夫婦を迎えに行ったのだった。
戦乱の中で、不衛生な社会状況下、
兄も姉も死んでしまった。
長男と二男を連れて、
着のみ着のまま
祖父に促され、帰国出来たものの
東京は空襲で焼け、南へと逃げたのでした。
串本まで来て、ほっとしたのもつかの間!
空襲に追われ、山奥へと疎開したのでした。
世界遺産となっている山奥には
戦後もB29の。。。ゴンゴンゴン、、、という
不気味な音が大空を灰色に染めた。
やがて、
ジープでチュウインガムを配るアメリカ兵が
終戦の日本にアメリカ文化を撒き始めた。
その頃、串本ではシャチに追われたクジラが
数十頭も濱に打ち上げられ
皆も、好奇心で串本まで見に行った。
串本では、クジラ吠える海があり
捕鯨船が「文化」のようにクジラを運んできた。
桟橋の市場にゆくと
クジラの解体をしていた事もあった。
土地の漁師にとっても
クジラ捕獲は「文化」が
引き継がれた結果のようにも思え、
自然の事であったに違いない。
クジラのベーコンや、クジラ弁当や、
クジラステーキは、戦後の食糧難時代に
どこの茶の間にも見られた、
昨日、孫と一緒に
「オーシャンズ」を観に行った。
小学生を頭に、幼稚園生の弟たちも、
「シロナガスくじらだ!」
「マッコウクジラだ!」
、、、、
声をたてて興奮して観賞したのにはびっくりした。
確かに、、、視点を変えれば
捕鯨、イルカ捕り、ふかひれ採集は、、、
もんだいである。
日本は「寿司食いねー!」
「トロ、マグロ食いねー」の国である。
孫達は「すし」も大好きであるが、、、
果たして、
これからも同じだろうか?
ちなみに、
串本の捕鯨を批判した趣旨の映画が
アカデミー賞と、テレビは告げているが、、、。
串本から、
クジラ文化と魚たちを取り上げたら、
漁師の人々は
「文化がなくなる」と、悲しむかも知れない。
私的には、クジラはやはり、、、
海を回遊してほしい。
孫が大人になった日は、
はたして捕鯨はどうなっている事だろうか?