花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

子育て支援の的

2012-04-25 01:26:24 | Weblog
明治生まれの祖父
厳格で厳しい祖父だったと
母は言った。

祖母は18歳で家庭科の先生をしながら
母と弟にあたる叔父を生んだ、

厳格な祖父
生真面目な母の母、、祖母。

8歳の母と
6歳の叔父を残して、、、病死。

死ぬ前に
母は、クラスではやっている「鋏」を欲しいと
実母である28歳の祖母にねだったそうである。

死を覚悟していた祖母は
「がまん」を、最後に母に教えた。

実母の死後、
父である私の祖父はアメリカに渡った、

孤児同様の母は
新宮の親戚である医者の家庭に引き取られて

新宮女学校を卒業すると
単身東京に出た。

音楽大学に進学し
医師であった私の父と出会い

結婚して
静岡の病院で、幸せに過ごした。

やがて戦争が始まり
戦地に配属された父の元に
母は子供を四人連れて行った。

親が居なくても、立派に成人した母。

しかし、

戦争が始まってしまった外国の地で
母は、3人の子供を失った。

戦争が、子育ての環境としては
最悪の状態であることが、
世界中の誰もが知っている。

子育て支援とは
戦争をなくすことである。

狂気の人間が
ボタン一つ押し間違えたら
全滅するような地球を創らないように

足ることを知り
この美しい母なる地球に
これ以上、

呼吸ができなくなるような
コンクリートジャングルを
増やさないでください。