日本の学者の先生の中に
湯川秀樹先生が、ノーベル賞という
国際間の評価を日本にもたらした。
私は、小学生になっていたかしらね、、、
父母も祖父母も、
湯川秀樹という学者の名前を
子供たちの前でもおりに触れては
誇らしげに言っていた。
日本の学術の黎明期だったのかもしれない。
中学の頃
「長いトンネルを抜けると、雪国だった。」
書き出しがすごい!
戦後の暗いトンネルを通り抜けると
雪国の白黒の希望の墨絵が見えるのかもしれない。
見えないのかもしれない。
心がトンネルにあるとき
恋に出会うのかもしれない。
世俗の条件が、恋に結界を置いているのかもしれない。
小岩一中の正門の前は図書館だった。
毎週5ー6冊借りて、大人の社会の行く道を模索していた。
その時、出会った「駒子」と「島村」、、、
幻想の中の自由な、
ときはなたれた、、、至福の擬似恋愛であった。
医学部目指して、
がりがりと、、、物理や数学や、幾何学を振り回し、
この世で「愛は最下位の位である。」などと、
EBMの世界をまっしぐらに行く両国高校の兄貴に、
「雪国」、、、!
「兄さん、、、!読んでみたら!、、、
物理も化学も数学も、受験も、
陸をキャタピラで走るタンクのような、
見える世界に、突然光が舞い降りて、
男と女の心が、競争世界の一瞬を忘れさせてくれるから!
この本、読んでみて!」
私の長いようで、短い人生の中で
唯一、ギスギスシタ受験ムードの兄に薦めた本である。
しばらく日時が経ってから
兄貴は言った。
「お前のよこした本は
どこが、そんなにいいのかわからんから
途中でやめた!」
受験生の兄は
「頼朝は、イチイチ国を支配する!、、、本読む暇あったら
鎌倉幕府の歴史でも勉強しろ!」、、、見も蓋もない感想である。
「兄さん!それを言うなら、
『頼朝は、いい国造ると夢を追う』て!、、、覚え方変えたら!」
それ以後、兄弟姉妹と言えども
がり勉の点取り虫はつまらんと思うようになり、
男は「戦い、競争し、実績を云々する義務があるから、
この世で一番大切かもしれないジャンルが、定年後になるんだ、、、。」
勝手にそう思って、
兄貴とは、俺、俺、俺の、話の聞き手としての立場で付き合った。
後に、、、川端康成さんは「ノーベル賞」を受賞された。
大人になった私は、改めて、もう一度読んだ。
子供の頃、初めて出会った、「真っ白な雪の恋」とは、
まったく違った感じがした。
島村にとったら、
男の人生の3パーセントに満たない
男の隠れ家で起きた、
トンネルの向こうの世界の「大人の男の恋」のように思えた。
小説は、何時読むか?
それが問題にも思えた。
まもなく、巨匠は「自らトンネルの向こう側に行ってしまわれた。」
中学校から、御茶ノ水付属、教育大付属、の受験を進められた。
祖父と、母がかって、東京都の教員をしていたからかもしれない?
叔父さんも、おばさんも、そのとき
現役の教員だったからかもしれない。
エリートコースのエスカレーターのような
選ばれた人生行路が、
ピンとこなかった。
一応、受験願書をもらってきて
兄に相談した。
「先生になりたいのか?」
「先生になりたいと、熱望するならともかく、
教育機関のガチガチの規律の中で、役割果たせるのかよ?」
「先生になりたいとか、とりわけ決った考えが無いけど、
その学校に行けたら、東大とか、慶大とかが
射程距離に入るんじゃないの?」
「馬鹿!」
「大概はお茶の水大学に進んで、先生とかのコースだぞ!」
「そうなの?」
「そうだよ、、、丸いめがねを鼻にズラシテ、
上目使いに、静かな口調で、
生徒に説教する独身の女教師になるコースだよ!
自分では2人ぐらいの子供を育てるのがせいぜいでさ、、、!
そのくせ、このように、つぶやくんだ!
『私は、、、何百人もの生徒を、、、育てた、、、』
欄間にかかった数々の賞状を、
目を細めて見上げて言うんだよ!
『之が、、、新しい日本の女性の、私の生き方なのよ、、、!』
メガネの奥の
猫の目のように、、、己の光が眩しくて細めた目が
私は偉い、、、先生だから、、、女性の最高の職業よ!、、、とか
ともかく、凡人のお兄ちゃん見たいのは
鼻も引っ掛けない『名門校高校』だよ」
雪国を読んでも、解からないわけだ、、、
自分の考えで「一刀両断」する兄貴は
やがて「内科医」となった。
臨床の、ひたすら忙しい、体力が勝負の人生を
「我王」のように突っ走った。
私は、自宅からバスで行ける
東京都立小松川高校へ進学した。
スカイツリーのあるゾーンの高校である。
町工場の、すごい腕を持ったスペシャリスト工員の子弟も居た。
行列をなすラーメン屋の娘さんも居た。
卒業時、早稲田、千葉大、学芸大、慶応、東女に、日女、
掲示板は大学進学の合格者が並んでいる割には
女性は、後日クラス会で会うと、
高校卒で、就職して、めでてく結婚組みが多かった。
私は、薬学に進学したが、高校卒のまま
医療系は「実践の仕事」で人生が飛んでしまうから、
時間がゆっくり流れるOLを選んだ人も多かった。
川のそばの、寅さんの世界の
真に味わいのある料亭の
御かみさんになった人も居た。
臨床の世界、、、之が人生の臨床の世界の物語です。
いつか、、、もぐるところから自分でする
海洋の魚博士の
学者の世界を話しましょう。
そして、、、故郷和歌山の
熊楠先生と言う
一風変わった、学者のお話もいたしましょう。