花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

国会中継TVはボケ防止

2013-05-16 00:47:16 | Weblog

   政治オンチな70歳目の前の、、、私。

   阿部首相がTVに映ると、終わるまでTVと付き合う。

   ハンサムで、上品で、優しさも、厳しさも、はぐくむ愛も、

   きっと、この方のお母様が、幼少の頃に伝えたのかもしれない、、、と。

   見とれている。

   吉田首相のお孫さんのA様が

   金屏風のように「居眠りしてるような姿で控えている。」

   国会議員の私たちの代弁者の「おば様」が

   ショウも無いことを突っ込んで質問しても

   それは「ファイルが別のところにあります。」と

   視聴者が思っていると、

   阿部首相は、うんざりした疲れを、、、感じさせないで、

   大真面目に理路整然と答えている。

   イチイチ失言を追及することも、大げさにすることもしないで

   国会は、日本国を護る為にも

   明治維新の開国後の舵取りを思い出しながら、

   世界に向かって、役割を果たせる日本の何たるかを、

   老若男女一丸となって、考え始めたかのような気配がする。

良かった!、、、民主党時代は、、、「ニケ」のように「頭が無かった。」

   理想と美しさと、愛もどきのものを振りまわし

   取れるとこから「税」も集められた。

   学問領域にも「政治の、、、2番じゃダメなのですか?」のカット。


   ビジョンはどこに、、、

   希望はどこに、、、

   地域優先は、日本が世界のスタッフとして、
   オキュペイショんすることが土台でしょう?

   サザエが、、、泳ぐ魚をよそに
   蓋を閉じて、、、安全地帯と思うのは総計でしょう。

   敵は去ったかな?
   蓋をあけると、、、、焼き網の上!、、、てこともあるから。

   首相をくたびれさせないで、
   全員が、首相の後ろ盾の知恵袋となって、

   世界中、どこの国に行っても

   素敵な容姿の首相が、

   元気で、日本の意思を伝えて、信頼を得てくれればと祈っています。

   だから、首相がうんざりするような、
   くだらない突っ込みの質問は

   日本の大切な、首相のエネルギーを
   無駄に浪費させることになりはしませんか?


   今日の質問は「戦争ってなんですか?」みたいな、、、

   答えようが無い質問でしたよね。

   ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

  政治オンチの70歳目前の、ショウも無い、婆さんの私の体験と

  歴史がつくった「多くの戦争」の中から、

  原子爆弾こそ、、、人類が戦わないといけない「平和戦争」だと思うのですよ。

  アメリカが「2発の原子爆弾」を

  小さな島国の日本に落とした!

  地球が無くなるとしたら、、、核戦争です。

  核戦争をなくす為にも、

  歴史は雄弁でなければならないときがあります。

  19世紀初め欧米諸国が東アジアに進出してきました。
  日本にも「ぺりー艦隊が押し寄せました。

  日米和親条約のようなTPPにならないように、祈るばかりです。

  農業も医療も、諸々のことは、、、明治維新のように

  旧幕府軍が函館の五稜郭の星になったように

  農業戦士が戦死することが無いように、祈る。

  吉田松陰も坂本竜馬も戊辰戦争の戦士たちも、

  歴史の津波にはあがなうことが出来ない。

  時代に逆らったからと言って、罪びとであるはずは無い。

  歴史の大河が、流れ着く先によって、

  罪と思えたことも、「啓蒙の先達」だったと、

  立場が逆転する場合だってある。

  東京裁判で「戦争犯罪」になった、多くの人々も

  「核戦争を地球から無くすために、
   役割を果たした。」「
  歴史の渦巻きの中で生きたのかもしれません。」

  日清戦争が始まった頃、私の爺ちゃんが生まれています。

  10年後に日露戦争が始まっています。

  1年と七ヵ月後「ポーツマス条約」が締結。

  この戦争で日本の戦死者は10万人以上と、歴史の本には書いてありました。

  小さな島国が、大きな国の圧迫にもめげず戦い、

  攻めることで「日本を護り、独立を護った時代」であったと、私的には思ってきました。

  この歴史から、世界の小さな国々は{独立は夢ではない!}と思ったかもしれません。

  私の父母が5歳ぐらいの時、第一次世界大戦が始まりました。

  日本は日英同盟の状態で参戦しています。

  結局、勝利した英、仏、露、も、長期戦でぼろぼろであったと思います。

  戦争は!!!!やめよう!

  国際協調で、、、戦争はやめよう!

  小さな国が「独立を果たし、自主性を持つためには、戦いを続けるしかなかったのか?」

  父母が尋常小学校の生徒のとき、

  海軍軍縮、日英同盟破棄、

  アメリカの主導した「9カ国条約」によって
  日本は中国に対して有していた権利を放棄しました。

  機会均等が叫ばれた時代でした。

  やがて、ロシア革命でソビエト連邦が誕生しますが、

  連邦政府は、軍艦という錆びた戦争粗大ゴミとともに、消えていくのです。

  父母が大学を卒業する頃、蒋介石によって中国国民党が誕生しました。

  このときから、排日運動が過激となりました。

  満州には満州事変が起こりました。

  満州国が民族協和を掲げ、建国されたの束の間で

  リットン報告書によって、日本は「国際連盟を脱退せざるをえない立場となりました。」

  日本人と中国人はとてもよく似ています。

  民族協和は「夢」ではなかったかもしれないと、当時の日本人の一部は考えたのでしょうか?

  満州の治安は良くなったものの、中国本土からは

  中国共産党と、国民党は排日運動に抗日統一構築が始まりました。

  私の兄が生まれた頃、盧溝橋事件から、支那事変へと戦争が始まりました。

  中国支援のアメリカは経済的に日本に制裁を始めました。

  当時は、アメリカという大国の植民地にされてしまうと

  日本の自主は認められなくなることを危惧していたのは、考えられる要素ではある。

  日本はドイツ、イタリア、と「三国軍事同盟」を締結。

  何とか、事態を打開すべく、アメリカ張り合ってゆくことになったのでしょうか?

  しかし、アメリカは、日本をさらに、「経済封鎖」して、ABCD包囲網を実現させました。

  私の主人が、おぎゃーと生まれて1歳の頃、

  和平に向かう日米交渉に望みを託して譲歩を表明しましたが

  アメリカは「日本の全面的譲歩」を求めて「ハル、ノート」を提案してきました。

  昭和16年、12月8日、、、日本は逃げ場を失ったかのように、

  一部の軍事的な力関係だけで、反応してしまったとしか思えないような、、、

  「第二次世界大戦が始まってしまったのでした。」

  逃げ場が無くなったと、思っても、

  軍事力に頼ってはいけなかったのではなかったのか?

  私は、、、、まだ、、、、生まれていないので、、、わかりません。、、、なにもかも、、、。

  生まれたのは「防空壕の中でした。」

  サイパンが陥落し、東京はショウイダンが破壊を繰り返し、

  知人も、親類も吹っ飛ぶ中を、

  臨月の母は、疎開地の田舎に向かって、走ったのでした。

  南紀の串本まで来たとき、

  B29の、、、、ゴンゴン、、、ゴンゴン、、、という音に

  座布団帽子をかぶって、防空壕に身を潜め、
  緊張と、恐怖と、陣痛で、母はこぶしを握り締めて、私を出産。

  戦場の中を、どのようにして生き残ったのかも、わからないまま、、、

  爆撃が収まると、へその緒のついたまま、

  血まみれで、山の中に向かって身を潜めたそうです。

  古座川の、清き水で「産湯をつかり」

  私の人生の産声が、初めて、鳴き声となって、山にこだましたのです。

  サイパンが陥落し、万歳岬から

  多くの婦人たちが、飛び込みました。

  昭和20年8月14日、本土への無差別空襲の大破壊の後

  原子爆弾の2発の破壊力で、日本はポツダム宣言を受諾。

  「多恵が滝を絶え、、、」ラジオの玉音放送の声に

  国民は頭をたれて、降伏しました。

之が、、、私の知っている戦争の歴史です。

  戦争で、良いことは一つもありません。

  軍医として、父は最後の出兵のとき、

  トラックが、爆撃されて来なかった。

  戦地で、息子2人、娘一人、失った父は、

  失った子供を取り戻す気持ちで、

  命ある限り、母に子供を託したのが、私だとしたら、、、

  苦笑してしまいます。

  子供は、愛の結晶だなんて、、、。

  戦場で、父母が生きる力が湧くとしたら、

  身を寄せ合い、生を確認することではなかったのか?

  私は、二人の恐怖と、不安と緊張をほぐすために、

  神が、戦中に生まれても良いと認可した子供ではなかったのか?!

  妻子の居ない戦場の兵士は、

  恐怖から、束の間の逃避が、母なる母体を感じることで

  無の心境の、母の胎内に回帰できる一瞬だったのではなかったのか?

  戦争が終わって、

  一番悪いのは

  核兵器を使って、小さな美しかった島国を

  放射線だらけにして、

  奇形児を世に送り出した「核戦争であると思っている。」

  ピカソだって、心が壊れたから「ゲルニカ」

  信じていた地球が無くなる日を示唆する「核の力」

  東京裁判で有罪になった人たちは、

  核の恐怖を世に知らしめる時代の流れの中の大河の一滴として

  警鐘の渦の中で、戦争反対の大きな役割を背負わされた哀しい定めの時に

  生きねばならない人たちだったのではなかろうか?

  結果の是非はともかく、

  各々が、日本の美しい風土の主体性と、自治を護るために

  命を懸けた人生だったのではなかろうか?

  終戦の廃墟の中で生まれた私には、

  こうして、歴史に書かれた資料からしか、

 「戦争はわからない。」

  しかし、、、核を持つ国が無くなり、

  稀有なる美しい星「地球」と太陽と、森羅万象の恵みの中で

  エネルギー保存の法則を実践すれば、

  戦争をして、奪い合わなくても。

  人類は、兄弟になれるのではなかろうか?

  孫子の時代に、生きていて良かった!という

  地球を美しいまま共存共栄する世界をつくることが、

  大人たちの義務ではなかろうか?