お隣さんが越してきて、かれこれ1年に成ろうとしていますが
セントラルヒーティングの2台の室外機が、、、この暑さで
温風を吹き付けてくるようになったのは、、、6月としては気候変動のせいかもしれませんね
50年来木肌の美しさをほめてあげては、、、剪定して、話しかけていた、、、
豆柘植≪豆柘植≫の木が、枯れてきました。
塀際の白いトリカブトも枯れました、、、、花芽が付く前に。
乾燥にようぃのですね、こまめに水はやっているのですよね、、、雨水をためておくのでね、、、。
枯れてトゲだけになった上の半分は枝を落としましたが
独特の、、、豆豆の、、、ような葉がポツリとなって、寂しい限りです。
この家を買ったのは昭和50年ごろだったと記憶しています。
医学部を卒業しても、国家試験ボイコットのデモの中
自分一人が試験を受けるわけにもいかず
実家からは、、、仕送りも途絶えて、
大学院の入学の時に
「若き医師の懸賞論文」「耐性細菌性赤痢の治療成績」の
当時の抗生物質と治療を細かくデーターを分析して
治療の裏付と治療成績を論文にしたものでした。
戦後の、サラリ―マン家庭に置いて、
下宿代と、医学部6年間の授業料は、
大変な出費だっただろうと推測できます。
主人は、一日一色の時もあったそうです。
長男を頭に、三人の男の子を大学に行かせて、女の子一人を嫁に出す、、、
当時のサラリーマンの家庭は
丁度、、、今の「新型コロナ経済ショック」にも似た、
発展途上の激動の経済パニックのサラリーマン家庭だったと思います。
戦後、、、軍隊から帰還した外科医だった父は、13年と言う疎開生活の間
弟妹を、疎開先から生まれ故郷の東京の早稲田大学を卒業するための
あしなが叔父さんとなり、、、
戦争で、収入の亡くなった親戚縁者、、、17人も、、、
居候を、職員として、戦後のドサクサの中を、
復興に向けて、走り続けました。
御国の為に、日本人は、、、死ねた時代だったのですよね。
疎開先では、配給のコメもマーガリンやカンズメなど
町村立の診療所のただ一人の、、、何でも診てくれる父の診療所に集まりました。
祖父が町長や村長さん、校長先生と掛け持ちするような、、、
戦後の混乱期を判断できるほど、恵まれた条件の人はほとんどいなかったのです。
傷痍軍人も白い帽子、白い服、、、松葉杖で、托鉢のような蜂をもって
虚ろな目でうなだれていました。
父は義足や、義手つくってもらって、診療所の多くの仕事の中でも
身体に合った仕事をしてもらいながら、、、
身体もそうだが、、、まず、、、働けるんだという、
自信と精神と、希望が必要だと言っていた。
町村から、ヘクタールの畑を借りて、
祖父が長い間住んでいたアメリカから
「グラジョウラス」など、、、花の種を送ってもらい、
花畑をつくり、そこの世話をしてもらう事にしていたようでした。
開墾して、畝をつくり、、、その人たちは「ほおずき」などを栽培し始めて
お盆の祭りの時に、
ほおずきを売って、
初めて、眼がきらきらし始めたのが記憶にあります。
それからは、父が特に、アメリカから種を取り寄せなくても
柏餅の葉などになる植物を植えたり、
ナタマメの巨大な豆を栽培し始めて、子供たちの両親に買ってもらったり、、、
傷痍軍人の白い衣服は疎開地からは見えなくなってゆきました。
戦争のような、、、パニックの後は
戦争から生き残っても、、、経済パニックに負けてしまう人もいるのです。
父は、農村の戦争未亡人を、入院患者さんの厨房で働いてもらっていました。
その女性は、男の子2人と美しい女の子のお母さんでした。
5時に、厨房から自宅に帰る時に、
母は、入院患者さんと、私たち家族と、その未亡人家族のおにぎりを握ってから
自宅には、10個の高菜のおにぎりを持って行くように伝えてありました。
私は、その未亡人の造ってくれる高菜のおにぎりが、、、大好きでした。
父は、戦争の時に壕の中で、兵隊さんたちが、、、
医師をかばってくれて、盾になってくれて、
戦場から生き残って帰れたと言っていました。
バスカ―砲とか言っていたような気がするのですが、、、
戦場では、医師も、地面を這って、
重たいのを担ぎ、訓練が有ったそうですが
周りの兵隊さんが、肩代わりしてくれたおかげで生き残れたと
戦場では、医師は、手も足も出ないほど、、、
自分の運動能力の低さを自戒していました。
そういう事も、、、影響しているのかもしれません。
傷痍軍人は父のもとに来ると、、、なにがしかの仕事の手伝いに目覚めてゆき、
「もう一度立ち上がる!」
父を囲んで、鮎掛けに往くようにもなりました。
早朝の「投げバイ」と言う、川に餌を仕掛けて、ウナギをとって
入院患者さんの食事に、診療所が買い上げることもありました。
栗も、シイの実も、ヤマモモの実も、桑の実も、
そして、シイタケの栽培まで始めた人も居ました。
それには、明治20年代の生まれであるにも関わらず
東京で、青山師範(つくば大学の前身校と聞いていますが)、、、とかいう
アメリカ留学先のある、学校を卒業して、
アメリカの日本人町の黎明期に、南紀からのパイオニアになっていたのでした。
祖父は晩年叙勲されて、それ以後は東京で住むようになりましたが
祖父が居なかったら、、、外科医と言う、父のシンプルな性格では
精神を病んだ戦後の帰還兵や、傷痍軍人の心身の病気は、、、
果たして、、、あの時のように、、、皆が希望をもってたちなおっていっただろうか?
現代は新型コロナと言う戦争と闘っている私です。
総合病院の外科のチームの一人である「主人」
我が家だけの主人ではありません。
私が原因で、、、ウイルスや、、、菌の病気にかかっては
外科チームが自宅待機になりかねません。
そうなると、、、病院に迷惑が掛かります。
土屋ホームさんが、塀の向こうの我が家の敷地に砕石を入れて、
こちら側に向けて排気の室外機を、高い土台に乗せて、塀のこちら側に向けて
セットしたことは、。。。違法では無いのでしょうか?
我が家にとっては、風よけフェンスも自分の敷地の建てられないという
売ることだけ考えた境界線を砕石で、隣の物にしてしまうというトリック!
我が家で、我が家の敷地に風よけのフェンスをと思っても、
自宅側に、引いて建ててある我が家の塀の向こうは、
あたかも、、、お隣さんの敷地のように砕石が入ってしまっています。
とにかく、、、排気の室外機に、パネルさえついていないのですから、、、
塀の前にある、、、50年も仲良しだった、記念樹の柘植が枯れたのは
身代わりになってくれたのでしょうね、、、樹木って愛すると答えてくれるから、、、
今度は、、、コロナ被害に遭うのではと、、、ひやひやです。
マスクをつけるのがエチケットの時代
室内の排気を、ひねもす塀のこちら側に二台の室外機で
h---あ!!と息を吹きかけられている我が家の気持にもなってください。
土屋ホームさんの新築ですから、、、土屋ホーム相談室に電話をかけたら
「当事者の問題です!」つっけんどうな女性の声。。。
こんなことで、、、隣と仲良くできないなんて、、、寂しすぎます。
自分だけ良ければという時代は、、、コロナの経済ショックの後は
イクラ、、、若者だとはいえ、、、なりたちません。
万一、、、医療崩壊で、、、救急が受けられなくなると、、
ホームドクターの開業医さんが、救急を回せなくなって、、
結局は、、、医師の家庭に排気をするという事が、、、
自分のお子さんが救急になった時には
タライ回しになって、医療崩壊になっているかもしれません。
もともと、境界石が、、、数個でたらめに入っているという地区に
震災後、測量が入り、きちんとした「づ面が」配られているにもかかわらず、
我が家の建てた塀も、塀の向こうの我が家の敷地も、全て、
新築家族の物のように注文どうりにしたというのですが
お隣さんあっての住宅地でショウ。
土屋ホームさんがプロとして、、、正しい建築界のお手本になってください。
私たち医師会の推進事業の会社に選ばれている土屋ホームさんは
元来は、、、持ちつ持たれつの医療界ではないですか?
上層部に、、、情報が入らないだけだと思うのですよね、
今は、、、主人の為にも、我が家だけの主人ではないという
病院への迷惑を考えると、、、
剪定も、、、早朝4時に起きて庭の草引きなどしています。
室外機は、ヴォリュームを落として静かに回してはくれていますが
間断なく流れる温風です。
塀際では 静かに、私の髪を揺らしますが、
柘植の木は、、、ここ数日の熱風で、禿げ頭のように枯れてきています。
可哀想に、、、家族のような、、、窓の真正面で
いつも話しかけていたのに
上半分、枯れた部分は剪定して、気の高さは半分になりましたが
これから、、、芍薬も、熱風で、散ってゆくのかと思うと、
一本も生木の無い若い隣のご家庭の感性には木々は訴えるすべは有りません。
おおらかなと言えば、、、北海道の大工さんらしい土屋ホームさんですが
今は窓も、、、早朝換気ですぐの換気が終わると占めています。、
おおらかなのは、、、時と場合によっては
被害者の方が、、、神経質だと判断されて、、、
私は、、、取り合えづ、、、フリーズです。
この、、、豆柘植は、、、子供が一年生になったときに植えました。
我が家にとっては、、、記念樹ですよね。
隣の排気の温風があたる真向いに植えてあった、、、家族の記念の木です。
土屋ホームさんの社員さんにも、「柘植の木が枯れた」ことを言って
このまま庭に、夏中温風が来るかと思うと、不安です。
ウイルスは100種類以上あるわけですし、
若夫婦と幼稚園のお子さんは、
これから、、、いろいろな予防注射をして、
いろいろなウイルスに勝って成長してゆくでしょう。
家の中には、元気な若さであればあれほど、、、
いろいろな感染症もクリヤーするでしょう。
今回のコロナだって、かからないとは言い切れないと思うのです。
柘植の木の傍に、、、何十年来、お花友達の為に
剪定した枝の束を送り続けてきましたが、
今年は、3個の、大きめのバケツに分けて、
楓の新芽の枝と、松の枝、青枝垂れモミジと
淦枝垂れモミジの新芽の開いたばかりの葉の枝などを
氷を入れてバケツに保管して、例年のように、、、
「さ、、、送りましょう!、、」と思って
早朝4時に起きて、束を新聞紙にくるんで、
いつものようにウキウキとした気持ちでした。
、、、前の日の夜から、早朝4時なのに、、、クーラーがかかっていたのです。
6月なのに、、、こんなに暑いから、、、天気が悪いって???
結局、松葉は色が変わり、モミジは葉が丸まって乾燥してしまって、、、
バケツの近くの柘植の木は枯れてトゲだけがビリット尖がって、、、
材料にする枝は全滅でした。
若夫婦は、ローンで一杯で、
お金のかかる排気の事までは治せないそうですが、
気持はわかりますが、、、
老夫婦も同じです。
新築の落成の時から、、、まだ誰も入居してないときから、、、
土屋ホームさんに、、、排気の室外機を、我が家の庭に向けないでと言ってきたのに
「注文住宅会社なので、お隣さんとの問題でショウ!」、、、と
女性の相談室の係は、、、怒ったような声で、冷たく言って取り合いません。
仕方がないので、、、我が家が建てた我が家の所有の塀の隣側には
20センチ以上の我が家の敷地があるように、
塀をつくる時に手前に引いてありますので
その敷地内に、、、室外機の排気を防止するフェンスをつくるので、
隣が、砕石を、我が家の敷地の塀の向こう側にも撒いてあるので
フエンスを建てる時の邪魔になります。
砕石を撒くのは、自分の敷地だけにしてくれれば、当方が当方の
風よけフェンスを創れるのに、、、
主張したら、自分の敷地になるという事は、、
、幼すぎる判断だお思うのですが、、、
土屋ホームさんの上層部の方に、、、現実が伝われば、、、解決するのにと、、、
営業マンしか取り合ってくれない現実に
万策尽きている、、、我が家の、、、新型コロナ、
主婦から主人へ、、、そして病院へのコースでコロナが派生ストップの願いです。
隣は角地に見えて、歩道沿いから、隣の敷地に札幌市の敷地が入っていて
建ぺい率に角地の条件が無いと聞いていますが
その影響でしょうか?
札幌市は、、、土屋ホームさんは建築確認書が出ていて違法ではありませんと
電話口だけで、感じよく、、、大岡裁きで、
安全推進課の男性の声です。
でも、、、
現場を視てくれれば、、、私たちの保健衛生面から
隣の敷地や塀をあてにして、排気を老人宅に向けてくるというのは
病人を創る様なものだと、、、おもうのです。
コロナを、甘く見ていると、、、札幌もパンデミックになるかもしれません。
このような、、、一見、、、小さく見える保健衛生が、
伝染病をつく、、、医療崩壊の小さなスイッチになるかもしれません。
原子爆弾が、、、心無い、、、一人間の指先一つで、、実行されるのを防ぐのは
若者や、、、利益のみに走る人間のいれもの、
「命の入れ物」、、、家を創る業者のひと手間が
良い隣近所、、、良い街、、、助け合う気風を創るのではないでしょうか?
とりあえず、、、万策尽きて、、、休憩です。
鈍感さには、、、対抗できません、、、
食用用のユリ根をタンブラーに埋めたら、、、花が咲きました。(^^
植物は精神安定剤ですね(^^