枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

神さまは視ている

2010年03月27日 | Weblog
 生きている人間の怖さは、陰日向のあることだろうか。上司や他人が見ている時には、非難されるようなことを上手く隠し、誰も見ていなければ平気でする。私は、自分がされて嫌なことはしない。神さまは知っておいでです。先日のこと、何時もは機嫌よく就寝してくれるのに、不機嫌だった原因は、私がイライラしていたことにある。気持ちが添えなかった。体の調子も、言葉でどんなに言い繕っても分かってしまう。

 素直に心を添わせていれば、ちゃんと話してもくれるし、優しい気持ちでいられるのに。こちらの都合次第を考えていると、何故かそれが伝わってしまう。医学的なことも、科学的な証明も、何等私にはできませんが、言葉に出来ないもどかしさが胸に堪える。そんな私の心を感じて、相手は詫びてくれ、心配をしてくれる。相手がどうしてほしいかを知ろうとしなければ、どんなに傍にいても偽善に過ぎない。

 Aさん家に、手当てに行かせてもらう。蒟蒻と枇杷葉は置いてあるのだが、両手を使って片足づつ、指の関節を揉んでみた。触っているだけなのに、痛いと言う。10分ほどしておいて、気を溜め込んで足の指に当ててあげた。冷たかった両足がじんわりと温かくなる。それが足から徐々に上がっていき、体中を包み込む。今度は、熱いと言う。暫くして、気持ちがよくなった。とうとうとされる。1時間弱、足の指先から入った気熱は、Aさんの著しい気力の回復をさせた。

 りささんが、『体の病気になる寸前を、枇杷茶は水分で出させるのです』と云われていますが、その通りです。枇杷葉茶は、体に溜まった毒素を、一気に排出する働きがあります。ギリギリのところまで生かせながら、体の調子を整えるのです。従って体内に熱を籠もらせない。最初こそ、大丈夫かしら?との想いがありますが、毒素が出始めると、これでもか。というくらい出るのです。

 初めに変化が起きるのは、どす黒かった顔色が、見違えるような肌色になります。次に目に活力が戻ります。ついで頭がしゃんとします。およそ3ヶ月もすれば、体力・知力・気力の回復があり、心身ともに安定してきます。こうなったらしめたものなんですが、大抵の方はここで止める。折角治りかけているのに途中放棄してしまう。体は、静止を失って、前よりも悪化する。コントロール不能状態です。

 リエさんが、クレヨンハウスに仕事で行ったら、珈琲が目に付いたので。とインスタントの珈琲を送ってくれました。無農薬の珈琲です。カルロスさんのが美味しいのだけれども、こっちがなくなったら飲ませてもらうね。ありがとう!それとリエさんが書いた小説も、別便で贈ってくれるんだそう。わーい♥あの小説だよね。同人誌に連載していたのでしょう?楽しみに待っています。そうそう、挿絵はシーラさんですよね。ワクワクしちゃうよ。

 枇杷葉の木陰に置いてある、クリスマスローズ。年々大きな株になっています。零れた種から出た苗も、次々に育っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする