枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

暦の訓え・自然に学ぶ・中潮

2024年11月18日 | Weblog

 旧暦での暮らしは、ざわつく気持ちに戒めを気づける。予感の頻度にも因るが、年末にかけて世情は慌ただしく動く。地球のことを疎かに、表面ばかりを飾り立て自らを省みない。異世界の出来事のようだわ、数多の星眺めてに。

 今朝は、窓の結露に気温も多少は低いが寒くは感じず。玄関へ新聞を取りに出れば青空覗き、雲も広がる。昨夜は、宮部みゆき・気の毒ばたらきを読みながら布団に潜っていた。すばるは、温かいと入って来なく枕の横に陣取る。

 枇杷葉の苞も次々と膨らみ、白い花弁を咲かせ辺り一面香りを振り撒く。白い花は夜行性もあり、馥郁とさせる也。リエさんが花芽茶にして飲んだことから、エキスへの堪能している。蜜蜂が飛び交い、結実させる仲介役と奮闘。

 枇杷葉にはアミグダリンB17が含まれ、多量の飲用はしない。花芽には、それらが結集してなのもあり必ず熱処理必須です。この時期から寒中にかけて花が咲き、結実していきます。初夏になったら青い実が熟れ、食せるのですよ。

 自然からの恩恵に祈り、感謝の心忘れずと日々を過ごせる有難さ。地球に棲む生き物は、人類だけに及ばず数多命の集まれる惑星。森羅万象・宇宙への畏怖、天啓疑わずでありたく努力怠らずとしたい。多くの事象視える也。

 季節感薄れゆく中、山の彩日々の変化に心鎮めてゆく。僅かなことにも心を添わせ、感謝の思い心掛ける。自らの至らなさ、訓えられること学べる気持ち失せずとも。他人と比べず、茨の路を切り拓く心根は枇杷葉に援けられ。

 明日は生協の集まりにて出かけるので、枇杷葉の枝を少し持って行こう。バラ科の香りは心を癒す。


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6 コメント

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Unknown (sr1007)
2024-11-18 10:07:56
sr1007
日々の忙しさに追われていると、時々ざわつく気持ち感じる時があります。
ベランダの木や鉢植えも目の端に映すだけで置物のように感じています。
たまにはanazannさんのように心穏やかに自然からの恩恵や感謝の心持たなくてはと教えられます。
有難うございます。
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世情に疎い (アナザン・スター)
2024-11-18 10:55:18
sr1007さん、単なる世情の疎さです。
無い物強請りしても、手にしたとて使い熟せないのが落ちです。

機械オンチ所以ですが、特段困ることもありません。
自己判断ですから、他人さまのことは分らず、頼る位ならのっけからしないんです。

敵も味方も、自分寄りでしょ?
諍いの元は1対1にも、庶民が加担して、国の支援を訴えるから止まらなくなる。
地球は、一つの惑星です。
話し合い、援け合う気持ち、何処にやったのでしょうね。

それも当然ではなく、自分への戒めと捉えて。
仕事辞めて、時間は使いよう。
気持ちも想いようにて愉しめます。

いつも訪問・書き込みをありがとう♡
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お礼 (onecat01)
2024-11-18 14:38:02
 アナザン・スターさん。

 心穏やかに、自然の恩恵へ感謝の心で日々を過ごされている貴方が、心の休まらない私のブログを訪問頂いていることに、感謝しております。
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Unknown (りりん)
2024-11-18 15:48:57
季節の移ろいを感じさせる今日
鼻の先が冷たいです。
太陽の温かさが恋しくなる季節
自然の営みに感謝、恵みに感謝
アナザン様の言葉に触れるたび
心穏やかに過ごせたらと思っています。
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物事の真実へ (アナザン・スター)
2024-11-18 16:56:46
onecat01さん、こちらこそ参考になる資料等、学ぶ処は大きいです。

日航機の事故、39年目に、けんちゃんの魂が弥勒菩薩の処から逝けたのにも、為るべくして。

それまでに多々なる現象に、何故視えるのか?どうしてなのだろうと、不可思議でした。

事実と真実、それこそ自らが成し得なければの業だったのですね。
枇杷葉の繋がりから、解けて行った事象に、感謝しかありません。
枇杷葉は、仏界には欠かせません。
信心神は持ちませんが、親鸞聖人が手にされた、太陽と月も、掌にて。
自然からの訓え、疑う勿れ。

有難うございます。
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四季への感慨 (アナザン・スター)
2024-11-18 17:01:44
りりんさん、物事を捉えていくにも、身勝手な思いでなら視えません。

産まれてきたのが裸なら、死に逝くのも裸です。
自分の物は、何もなくても、神々は魂を還すなら受け入れてくれます。
宝石も、お金も必要ありません。
況してや地位も名誉も無関係です。

それに気づけ、己を全うした時に、あちらへと迎えてもらえるのだと。

心得を持てば、身が軽くなりますね。
有難うございます。
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