自然からの驚異は、計り知れない。道を隔てた同じ地域で、床下浸水という。何と池の水が溢れたらしい。災害は、何時起こるか、普段からの予測の大切さを思う。それにしても、そんな筈はないと言う意識の怖さに、面食らう。今の世は、まさに何でもありだ。
原発マネーを、受け取れない過疎化の地域では、企業献金を当てにし、そこからの収益がなくなれば、地元と余所者の団地住民とは別。と言っていたのが、各戸の年間税を支払えと迫る。今までは地域の事を決める採決等、団地住人は無視してきたのにだ。
尤も、そういったことの繊細は変わらずで、総会への出欠だけで、年間事業を了解させる。否応なしである。議論の余地はない。権限一切を剥奪しての審議である。とても可笑しい。民主主義の欠片もない有様。田舎の話し合いは、流れて来た過程で済んでいるのだ。
原発を停止して、暮らしを遡ることになっても、人々が安心し、安全な生活できる方が、どんなにかいいだろう。著名な瀬戸内寂聴さんは、齢90と言われる。その瀬戸内さん、命のある限り、原発反対とのコメントをされていた。以前のハンストにもびっくりした。
再稼動は止めて。原発のゴミを増やすのも駄目。海への汚染、大気への放射線。原発を再稼動して、何等良いことは無い。毎週金曜日の、国会議事堂への、再稼動反対への参加は、回を重ねる毎に、人の波で溢れていく。それなのに何故、原発を止めぬのか。
坂本龍一さんは、コンサートをし、その収益金を全て、福島へとあった。私には、そのどちらにも参加できない状況だが、署名や講演への参加はできる。近直、鎌仲監督にもお会いできそうだ。リエさんの本の紹介もしたい。萩尾望都さんの『なのはな』も。
満月のセレネ。雲が隠す月には、ちょっとしたムードがある。明るい満月には、寛一の無念さが見える。