枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

降り頻る雨に・・・

2012年07月14日 | Weblog

 大雨の被害が甚大だ。人間は、何時から自然を侮ってしまったのか?人間同士だけではなく、ありとあらゆる自然の、命の恩恵を賜っていた筈なのに。当たり前ではなく、心からの感謝の念を置き去りにして、今に至ってしまった。

 原発を再稼動して、核燃料を、ゴミを増やし、地球を苦しめ、ひいては人類を滅亡させる要因を作り出す。何という愚かしいことであるのか。気づきながら、政府の要人は止めることをしない。自分たちだけの栄誉のために、庶民が犠牲になるのは平気らしい。

 一人の人間にはできないことも、志を同じにする者が集まれば、流れが変わるかもしれない。一縷の望みを持って、人々は官邸前に集まる。何処かの政治家ではなく、原発はいらない!と繰り返す。また其処には行けないけれども、強い信念を持っての行動はできる。

 何もかも、アメリカ政府の言い成りの閣僚より、その危険性を懸念する庶民の声を聴いて!誰のための命であろう。戦争の無い世の中を、誓った国民を騙すとは。最早、政党ではない。国民の怒りの魂は、人間性に行き着くのだ。

 地球は、何度もサインを発し、人類に警告してきた。原発が作動する時の微妙な周波数が、積もり溜まって異変をもたらす。これらが人災でなくて、何であろう?我々の自然破壊が上空の気を乱し、来るべき結果に導いていったものである。

 鎌仲監督の、DVDと講演があり、その後トークショーに参加。そこで、今回の再稼動への茶番劇の如何を、何故新聞社は正しく報道しないのか問う。答えは、やはり電力会社との癒着だ。私たち庶民側には、回ってこない裏金の行方。

 原子力安全・保安委員会は、信用できない。何故なら、その殆んどが東大出身者。頭脳明晰らしく、狡賢いのだ。そしてそれらが、定年後の天下り先になる。悪循環であり、杜撰でもある。私腹を肥やすことに終始し、庶民の命がどうなろうと知らぬ顔である。

 原発を稼動させないと、そこには生活が困難、と言うが、実際は原発マネーと、自分達の生活に、大切な命を交換しているだけ。自分たちで首を絞めている。愚かな行為に気づけないよう、小狡く立ち回って、ほくそ笑む。

 リエさん。『ストップ・ザ原発』『どうするどうする放射線』ちゃんとPRしたよ。監督は、何度も引き出して話してくれたよ。会場の参加者の中に、図書館にあるよ、とかの声も。置いてもらおうの声も上がったよ。ネットでの検索も薦めておいたよ。

 夏枯草。薄紫の小さな苞状の花が集まる。夏に咲いて枯れる、ところから、この名が付いたとか。今年は、牧野富太郎博士の、生誕100年だそう。記念切手も発行されている。

 

 

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