枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

夏の暮らし

2012年07月22日 | Weblog

 井戸があった頃、龍は自在に天地を行き来していた。便利な水道になって、井戸は封印された。水は腐る。龍は嘆く。天地が揺れる。地震も津波も、天災ではない。人間の愚かな知恵が、自然を侮った結果だ。それでも神は、人間を哀れに思って御標を見せる。

 宇宙を観た時、異様な光景に遭遇したら、近い内に地震が起きよう。原発を稼動させてはいけないのに。伊方原発は、安全装置が、避難経路がないというのに。放射線は全国に、世界に飛ぶ。これほど人類の危機に陥ろうとしているのに、未だ判断を変えない。

 確かに、戦後の暮らしは、様々なことに支障を来たした。だが、地震が起きても、放射能の心配はなかった。水は、何処かしらにあり、飲めないという事はなかった。暮らし向きが良くなって、喉元を過ぎたので、熱さを忘れた。羹に懲りて膾を吹く。

 福島の責任さえ取れないのに、況してや、広島や長崎も然りである。原発には依存しない暮らしにしよう。木を植え、土を耕し、自然の中で呼吸しましょう。レイ・ブラッドベリの『霧笛』、眠る恐竜の耳の届いた、霧笛は、長い時間を掛かけて行き着く。

 夏には夏の暮らし向きがある。体は冷やさない。温かい物を戴く。冷房の利いた部屋に居て、冷たい物ばかり口にしていると、血液の循環を悪くする。足が動かない。腰痛になる。風邪を引き肺炎になる。何よりも体がだるくなってしんどい。

 冷房がない時代なら、カキ氷を食べ、冷たく冷やした西瓜、瓜で熱を下げた。或いは、暑い時間には、昼寝をした。木陰でゆるゆる過ごした。暑かったけれども、自然の風が心地よかった。人工的な寒さには、息が切れそうな熱を放出させる。

 我が家の涼しさには、庭に植えてある枇杷葉が影をする。水遣りを終えると、風が渡る。暑いんだけどね、夏なんだよ。この時期に暑くなかったら、作物は取れない。台地が死んでしまう。地球の潤いを活性化させる夏に季節に乾杯。

 ユキノシタ。春先、グングン育っていく。葉の大きなのを天麩羅にした。

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