二十四節気 小満 光熱ともに旺盛となり、陽気天地に満ちる、と言う意味で、小満と言う。毎年、五月二十一日頃である。昨日の日中の暑さに、早速冷房を点ける職員。網戸で充分なところを、未だ早い。本格的な夏場にはどうするの?少しは我慢しよう。
高齢者には、衣類の調整を行い、合わせて水分補給を忘れない。自然の摂理に従った方法で、機械にばかり頼らない心掛けが大事かも。身体は、そういった微妙な対応が、可能なようにできているのを、直に冷房を入れるのは考えて。耐えるも既に死語。
今朝は、5時起である。昨夜から、牛蒡を甘酢で煮てはいたが、酢飯と具を混ぜるので、気力を溜めてどっこいしょ。本日の職員の分と、自分用のを5合で炊いた。具を入れたら、これが結構な量に膨れる。知人の分けてくれる米なので、酢飯も美味しくなる。
今月の予定としては、緊急事態はどうにか回避したが、来月は勤務上の講演に出向く。ややこしいことを言うので休日にして参加する。本来は、出張扱いが妥協なのを、相手にしても無駄である。自分の介護での質の向上と考える。学ぶことに意義がある。
薔薇の花弁の落ちる前に、採った物を焼酎に漬け置く。色も、赤と薄桃があって、綺麗な色に仕上がる。庭は、一面の緑に転じているが、芍薬や金魚草も、風に揺れる。シランも、赤と白が咲き、デルフィニュームも、釣り鐘草も。クリスマスローズは咲き続く。
鉢物も外にあるので、今朝は水遣りも忘れない。朝の時間は、順序よくしないと、あっと言う間に出勤時間になる。新聞にも眼を通し、世の中の理不尽さに呆然とする。これが民主主義と言うなら、最早死んでしまった。戦争へとひた走り、核兵器の使用も近い。
自分のことよりも、他人の気持ちを思い遣れる人間でありたいと想うが、自分の保身さえ良ければ、自国の民はどうでもいい。高齢者社会への、余りに大きすぎる付けを、誰もが取れない世の中に漠然とするばかり。庶民の側に寄り添ってくれるのはいない。
リエさん枇杷葉。昨年、やっと9年目になり、花芽が見えた時には、とてもうれしかった。少し花芽茶に送り、残りは収穫に。