枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

卯月・大潮・三隣亡

2017年05月12日 | Weblog

 曇空で、気温も程ほどでいいのだが、燕の巣を掛けさせないのに、巣を落さないでやればいいのにと淋しい。ビニールテープを貼り付けると退散する。加えて、傘を逆さまに吊るせば、糞が落ちない。愛鳥週間に似遣わない方法は止めて。

 我が家であれば、どんな方法で撃退してもいいが、介護施設である。中には悲しそうな顔の方も居て、胸が詰ってしまう。洗濯物が汚れる、と言うが時期であり、短い期間でもある。天日干しには出来ないかもしれないが、中に干してもいい。

 人間だけが偉く、住んで居るのではない。何を根拠に仇扱いするんだろう。燕が来るには、ちゃんとした理由がある。プランターの土は置かず、花も野菜も育てなければいいのだ。勝手な了見で、燕だけを追い立てるのは理不尽極まりない。

 その遣り方にも、追い払うのではなく、此処には巣は掛けられないのよ、と詫びてやりたい。燕にだって、心はあるんだもの。きっと通じる筈だ。闇雲に叩き壊したり、追い立てることは避けたいもの。福島からの避難者さんに、重なってしまう。

 帰宅して、薔薇に毛虫発見する。殿様バッタの小さいのも飛んでいる。自家製のエキスを散布し、枇杷葉の枯れた葉を除く。長崎茂木は、枝がかなり撓っており、来月の収穫時までには、もっと垂れるだろう。糠と塩のお蔭で、鈴生りである。

 枇杷葉の新芽も、横から出てくるのは除いたのがいいようだ。昨夜、考え事をしていて、急に思いついた。同時に、上に伸びるのも止めて、高くなり過ぎないようにしよう。脚立に上がればいいが、歳を重ねると怪我の元になっても困るのだ。

 芍薬が、きりっと立っている。ほんとうに美しい姿だ。花の姿に自分を重ね、背筋を伸ばす。艶やかに咲き出した薔薇にはない、個性を感じる。気品と教養と、さり気なく相手を気遣うやさしさを持っていたいもの。努力をしつつ生きなくちゃ・・・

 昨年の12月には、満開となった枇杷葉の花芽。この匂いを閉じこめることは不可能だが、お茶にしてふくよかな香りを。

コメント
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