二十四節気 啓蟄 地中で冬眠した虫類が、陽気で地上に這い出す頃の意で、啓蟄と云う。毎年、三月六日頃である。先週の気温とは異なり、寒さも然程感じず、暖かさが心地よい。春になったものと心が弾んでくる。
然し、昨日の暴風雨には、流石に洗濯物は干せず、室内に取り込んでいた。表の物はぶっ飛んでいくわ、枇杷葉の木は大揺れである。寒さは感じないとはいえ、じっとしていると寒い。懐炉を貼り付けて過ごす羽目に。
新しいパソコンにして良かったのは、ブログの更新が直ぐに出来、ベルメの買い物が復活し、ネット検索が可能になったこと。拙かったのは、ブログへの写真の縮小が、さっぱりな出来で困惑した。方法習得に時間が。
何しろ、windowXPである。然も、買い換えたのは10になっており、相当に進歩している。使用方法が分からなくて、戸惑うのは当然でもある。初めからのパソコンならこうはいかないが、少しは学んでいて好かった。
当時は、重労働の仕事を辞めるに、多少は資格も必要と習得に行った。事務系を狙ったが、年齢で不利な扱いを受け、正社員への道を諦める。介護の仕事には、未分野でもあったが、簡単な内容に応募してしまった。
自分の性格の短所でもあるが、負けず嫌いが高じて、誰よりも熱心に学び、研修を受け、レポートを提出し、疑問点は納得いくまで追及した。心の籠った介護を想い、日々励んできたが、言うは易く行うは難くである。
人間誰しも、何時かは命を終える。その覚悟があるかないかで、生き方にも差が出るように思える。わたくしなど、如何なる場合にも、助けは願っていない。産まれてくるのは、親に助けてもらったが、死ぬのは独なのよ。
そういってしまえば、薄情かも知れぬが、命の延命はしたくないし、自然に逝けるのが、宇宙の摂理であろう。死期というのは、自ずと分かるもので、どんなにもがいても逃れられない。殺すのも、殺されるのも嫌だが。
人間も、医学や化学の進歩で、長生きをしてきたもので、平安時代や江戸時代ともに、全く異なる生活だ。どの時代にも、長生きをしたい者はいたようで、寿命が延びるなら、権力に物を言わせて、服従させ手に入れた。
枇杷葉には、活力や延命の働きがあるのかも知れぬが、千差万別で効力の程は不明だ。何かのエキスが、寿命を延ばすのか、そういった物ではなく、突然変異で産まれた者が、シャーマンとなって子孫を増やしたのかも。
リナリアとも言い、金魚草であるが、花が小さくて群れる。本来は、一年草らしいが、我が家は零れ種で。