枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

如月、上弦・小潮

2018年03月25日 | Weblog

 月を眺められることに、当たり前であって、自然からの贈り物と気づけることに感謝する。宇宙に懸かる月や数多の星等、取るに足らないことかもしれないが、そこには必ず命の根源がある。月と地球の関係には、命への畏怖が籠っているのだ。何億分の奇跡であるのだろう。その神秘さにも感動する。

 日中の暖かさに慣れて来た頃、寒さに戻ることがある。旧暦の卯月を、四月朔日さんと言うのも、気温が安定して、早初夏になって来る。綿を抜くのだから成程である。それが丁度、季節を言い表しているのも凄い。睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神無月 霜月 師走

 田舎の桜は、未だ蕾は硬く、咲く気配すら見せない。梅は、先日の雨と風に散ってしまった。草は茎を伸ばして、青々としてきた。雨上がりに抜こうとしたが、根が張ってきており、ちょっとやそっとでは切れる。道具を使っての作業に、断念してしまった。明日の休みにするかな。枇杷葉も採ろう。

 最近、足がつってしまう。こむら返りなのだが、痛みが半端でない。仕事でのトイレの回数にも問題があって、つい水分を控える。昼食時の枇杷葉茶は持参しているが、後は自前の珈琲を、時間があれば淹れる。水分を気にするほどの症状でもなし、後回しにしていた。イタドリを飲んでみたら軽減。

 すばるの甘えが激しい。生後1年経ったのに、こんなに軟では困る。今も、膝に来て喉を鳴らしている。加えて重いのだよ。足が痺れる程にずっしりとしてきた。パソコンを操作していると、自分もすると手を出して来る。あっという間に画面が変わるのに、何てことを!と焦る。ノートパソコンが壊。

 来月の勤務表を見ながら、年金との合算で、のんびりとした老後を想定して、晴耕雨読を実行するべく、予定を立てていたが、すばるを置いては、何処にも行けない。かと言って、連れても行けないのは分かり切ったこと。新幹線も、荷物でなく、同伴者としての措置を取れないか?近未来への実現に。

 厭々、どこでもドアーさえあれば、リエさんちにも、何処にだって行ける。普段着での訪問も、意外と愉しくていいものだろう。そろそろ筍や、タラの芽が出て来る。先日の蕗の薹は美味しかった。三つ葉は、墓参りに行って、母の植えてくれていたのを、少し摘んできた。旬の物の匂いは格別ですね。

 姫金魚草の花が、風に揺れている。毎年、彼岸前後に苗が見えだし、次々と咲き出す。

 

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