枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

通草の蕾が・・・

2018年03月30日 | Weblog

 どうということはないのだが、昨年なかったのが見つけられると、顔がほころぶものだ。今年は種を蒔いて4年目になる。最初にばら撒いたのが、探していて10程ある。今は1cm位のだが、花が咲くのが待ち遠しい。友人に貰わなくても、リエさんに送れるのもうれしい。早生か晩生かは不明。

 チューリップが咲き、山桜桃の蕾や、椿も海棠も陽気にうれしそう。季節の訪れは、暮らしの中で、余程気をつけていないと、見逃すもの。天気に月や星を眺め、気温に花々に眼をやればいいだけだが、それが中々できないものだ。人間の棲むだけの地球ではないことに想いを馳せたい。祈り。

 星野仙一さんは、野球自体は好みではなかったが、人柄が好きでファンだった。往時の長嶋さんよりも格好よかった。何しろ、巨人が嫌いだったのと、野球のルールがさっぱりであったので。他人の見た目には、スポーツ好みと思えるようだが、バレーボールも突指するわの運動オンチオンリー。

 天気が好いが風がある。洗濯物がはためき乾く。蒲団を干しておいてから、フェンスの外の、先日の残りの草抜きをする。2時までの時間をしたが、草は後から幾らでも生えてくる。リナリアの苗だけ残して刈っておく。風はあるものの、心地よいので捗る。すばるも外が気になるようだが駄目。

 鉢物に水を遣り終え、そのちょっとした隙に、庭に出て行く。駐車場の方に行って中に飛び込んだ。その後、ソファで昼寝をしているが、鼾をかいて眠っている。蒲団はふかふかだし気持ち良いのだろう。明日は満月で、朧月夜になるかな?あちこちでの花見らしいが、出不精としては家で過す。

 施設の花見は4日で、雨が降って散りそうだ。昨年には、全員参加でしんどかったので、今年は休みにした。職員の皆が協力しないと、出来ないことだが、命令ばかりしてでは、些かうんざりする。他の者が動き易いように、段取りを組ませて、自らも配慮が出来ねば、上司とは言えまいだろう。

 加えて、幾ら綺麗な言葉を使っても、相手に通じるように尽くすことも大切だ。最近、やたらといただきますや、上げますが多いと書いても来たが、地方の田舎のことである。そこに似合ったやり取りがあって、方言も含めて、心が籠ればいいのではないか。無論、標準語は基本で、謙譲語は否。

 パソコンの検定試験の時にも、研修でも、いただきます は傍線を引いて必要ないと言われた。戴きますは、食事の際の言葉であり、たくさんの自然への感謝の気持ちを現わす。人間の勝手都合で、命を終えた物への祈りでもある。家畜や、野菜への感謝の思いでもある。生かされているのです。

 昨年の5月にリエさんを訪ねた。行きの新幹線から見えた富士山。帰りは雨になって残念。

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