枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

すばるの成長に・・・

2018年03月13日 | Weblog

  否、大きくなったとは思う。加えて重いのである。とても片手では持ち上がらず、両手を使う。見かけはすっかり大人だが、気分は未だ1歳です。悪戯好きの腕白で、遠出をしようにも無理である。甘えん坊でもある。ちょっと市内までの用事も、不機嫌なこと夥しい。天気が良いので、外に行きたそうだが、網戸からの散策。麦が育ってきており、その内にね。

 年齢と共に、視力の低下に愕然とする。車の運転があるので、検査は欠かせない。数ヶ月に一度は行かないと、事故をしたのでは始まらない。診察の人数も少なく、予約をしていたこともあり直ぐに終わり、とんぼ帰りとする。帰宅して、草抜きやら片付けをし、洗濯物を取り込む。天気で風があるので、乾きが早いのだ。外回りも掃いておく。暖かくなると多忙。

 昨日のことだが、団地内の悪餓鬼が、フェンスを乗り越えて庭に入って来る。そのまま挨拶もせず、通り過ぎようとしたので、注意をしておく。他所んちの庭に無断で入って、黙って行くとは、親は何を躾ているんだ。もう1件は電話応対。電話口に、必ず用事のある人が出るとは限らない。受けた方に、名前を告げ、取り次いでもらいたいことを聞いた答えに絶句。

 何と、『いらっしゃいます』と答えたのだ。れっきとした大人がですよ。そういう時には、○○ですか、在席していますので、少々お待ちください。ではないのか?思わず、その日本語は違いますよと言っておいた。呆れるというか、電話の受け答えの出来ない者を雇うな。何時も書いてはいるが、いただきますとあげるの使い方にも首を傾げる。使う相手を考えて。

 児童書の中にも、新聞でも、びっくりしてしまう。驚きを隠せない。まあ、一国のトップが、忖度等と言うのだから、滅茶苦茶な日本語とは気づかないのだろう。せめて表記には気をつけて、と言いたいが無理かな?庶民の生活に合った、言葉使いをしたいものだ。丁寧に言うのが好いとばかりは限らないのだ。却って失礼にあたる。そういうのを慇懃無礼と云う。

 年寄りに対して、可愛い等以ての外だ。昔は惚けたと言い、それでは人権侵害と痴呆になった。今は認知症状である。病気ではなく、人間が通って往く路で、症状を指すのだ。でも、中身は以前よりもややこしいし、理解不能が増えた。生活の便利さが、高齢者の役割を奪い、生きる糧を失くしているのに気づかない。テレビにお守りをさせ、集団管理の状態です。

 介護の仕事を遣りながら、哀しくなるのは必然的で、自分の親の老後を何故看れないのか?産まれて間もない自分を、育てて大きくしてくれたのは、他ならぬあなたの親でしょう。資格云々ではありません。人間として当然の行為です。国は、こういったことにこそ、充実した対応をしてほしい。他国の援助もいいが、アメリカの言い成りには、絶対に反対します。

 地球は、アメリカの物でも、日本のでも、フランスやイギリスのでもない。蒼い惑星には、数知れない命の営みがあり、人間だけではなく、そこに棲んでいるのを、決して忘れまい。一部の者が自分勝手にすれば、そういった連鎖反応で、災害へと繋がっていくのだ。地球を壊さないで。命を消してしまわないで。人間には誰一人、その権利はない。神にも然りだ。

 春の夕方。宇宙に懸かる月にも、大気の影響が見える。ぼんやりと朧に映る月の姿もまた、なよやかで美しいものだ。

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