枇杷葉の花芽が咲いているのに、啓蟄以前より虫の姿が見えていた。よくしたものだと感心する。自然の掟では、こういった些細なことも、命を育んでいくものなのだ。結実するかは別として、興味深い出来事だった。ブログに書いておけば忘れない。観察できたのも実にあり難いこと。自然から教えてもらえることに感謝する。
友人がやってきて、風邪の具合が芳しくないと話す。枇杷葉の焼酎漬けを飲用しているそうだが、時間がかかるのは否めない。これはお茶に塩を入れて、嗽をしなくては。飲むのは山女の方だよ。山女は、咳止めにも痰の絡みにも効果がある。自然の力を借りて、援けてもらうのだから、素直な気持ちで暮らしたい。祈りと感謝を。
癌細胞への偏見かな?とも思えるが、癌も身体の一部であるのを、悪性と決めつけて切ってしまう。生きていようとするなら、仲良くしなくては。諍いは良くない結果になるから、共に暮らせる方法を見つけてほしい。何でも医者の言うことが正しいとは限らない。自分の身体であるのに、他人任せにするから、命まで終えるのだ。
どんな名医でも、人間であることに変わりはない。手術の経験が幾らあっても、そこは感も大切なことだろう。悪者をやっつけるというのは、鬼退治みたいなもの。だが、鬼にしてみれば、先住民族で其処に棲んでいただけのことだ。彼等には金銀財宝も、何ら意味をなさなかったのを、後から来た者が、涎を垂らし、目が眩んだ。
古事記や日本書紀を読むに、至極尤もらしい記述があるが、その時代に居た訳ではないし、藤原不比等に依って書き換えられたともある。権力に絶大な金や地位があれば、何なりとできた時代でもあろう。長屋王の事件もそういった背景があった。目ざわりの者は、政権の実権を握っているという錯覚者にとっては、許せない相手だ。
昨夜からの雨である。気温が上がっているので、洗濯物は生乾きだ。室内に取り込んでも、常温で多少は乾く。急ぎの物ではないのと、着替えはあるのとで軒下に干したままだ。明日は、勤務先の病院に人間ドッグで行く。更新の手続きをするためには仕方ないが、可能なら出向きたくない。歳を重ねれば故障するのは、当たり前です。
枇杷葉茶の最大の効力は、獣の臭いを消すこと。人間と同じ効果があるので、すばるを見ていれば想像がつくのだ。実に美しい毛艶だ。そろそろ1年が来るが賢い。対して10年以上の飲用である。悪戯はするものの、飼い主の顔色を読んでいる。声の調子や態度で、自分の失態を察知する。人間の評定も分かるので、すばるを見れば。
庭の海棠が咲いた。春爛漫である時期に、桜より、ちょっと遅れて咲き始めるのが好い。