今朝の寒さは、氷が張っているところを思えば、一番の冷え込みである。明日は節分と言うに、懐炉を慌てて2つにする。早出ではないが、指先や足が冷たいと動けない。冬眠も考えるが、夏への扉のようにはいかない。事実は小説よりも奇なりで、そんなにすんなりといかないことが愉しい。山の斜面の日溜まりに、節分草も咲き出している。
蕗の薹がそろそろ芽出すか?と自然の様子にも心が動く。人間の身体には、苦味が必要なこともあって、そういった物を口にするのも好い。千振にも、身体をしゃっきとさせて、胃腸を整える働きがあるようで、嘔吐も下痢も止まる。市販の薬は買う気も無いが、処方箋の薬でさえ合わない。漢方も自然の恵を受けての物が最良であるのも納得。
先月の天候不順の夕方、雹が降った後に虹が掛かっていた。車中からの眺めには、事故も起きるので用心だが、自然の物に眼がいくというのも、その一瞬でしか観えない。宇宙に関心があっても、科学的なことばかりではない。信じ難いことも目の当たりにする。荒神さまに行った時にも、宙一杯に白龍が泳いでいた。やさしい眼差しに癒され。
今年は、巻きずしの数が減ったので、大騒動をしなくていい。他人の心配も金次第で、そこまでの配慮をしてまで、食べて貰う気もなくなった。買えば手に入るのだ。味はどうであれ、それで満足しているのを、無理に持って行く必要もない。個人的には、形や具は高価でなくても、味と作ることに意味があると思える。市販品の味は戴けない。
餅を買っていて分かったこと。黴が来たり、腐らないのは、防腐剤と添加物が入っているのだ。搗いた餅には、そういった物が入っていないので、何処に置いていても黴が生じる。でもそれが当たり前の現象で、だからこそ度々搗いたのだ。或いは、保存方法を考えてのやり方であった。世のかも変化していくが、新型ウイルスの発症に関係が。
近代社会での、便利で快適な生活になったから、予想だにしなかった事柄に発展する。それまでは何ともなかった生き物も、何かの拍子に弾き出されてしまう。人間に取り付いていなければ、子孫繫栄が困難であれば、繁殖力も凄まじい。プロメテウスも観ていて、隠されていた事柄を、探り出そうとすれば、均整が崩れてしまう危険性をはらむ。
昨年の雪模様。狭い猫の額の庭だが、雪で白くなると別世界が広がる。陽射しにあっという間に消えた。
蕗の薹がそろそろ芽出すか?と自然の様子にも心が動く。人間の身体には、苦味が必要なこともあって、そういった物を口にするのも好い。千振にも、身体をしゃっきとさせて、胃腸を整える働きがあるようで、嘔吐も下痢も止まる。市販の薬は買う気も無いが、処方箋の薬でさえ合わない。漢方も自然の恵を受けての物が最良であるのも納得。
先月の天候不順の夕方、雹が降った後に虹が掛かっていた。車中からの眺めには、事故も起きるので用心だが、自然の物に眼がいくというのも、その一瞬でしか観えない。宇宙に関心があっても、科学的なことばかりではない。信じ難いことも目の当たりにする。荒神さまに行った時にも、宙一杯に白龍が泳いでいた。やさしい眼差しに癒され。
今年は、巻きずしの数が減ったので、大騒動をしなくていい。他人の心配も金次第で、そこまでの配慮をしてまで、食べて貰う気もなくなった。買えば手に入るのだ。味はどうであれ、それで満足しているのを、無理に持って行く必要もない。個人的には、形や具は高価でなくても、味と作ることに意味があると思える。市販品の味は戴けない。
餅を買っていて分かったこと。黴が来たり、腐らないのは、防腐剤と添加物が入っているのだ。搗いた餅には、そういった物が入っていないので、何処に置いていても黴が生じる。でもそれが当たり前の現象で、だからこそ度々搗いたのだ。或いは、保存方法を考えてのやり方であった。世のかも変化していくが、新型ウイルスの発症に関係が。
近代社会での、便利で快適な生活になったから、予想だにしなかった事柄に発展する。それまでは何ともなかった生き物も、何かの拍子に弾き出されてしまう。人間に取り付いていなければ、子孫繫栄が困難であれば、繁殖力も凄まじい。プロメテウスも観ていて、隠されていた事柄を、探り出そうとすれば、均整が崩れてしまう危険性をはらむ。
昨年の雪模様。狭い猫の額の庭だが、雪で白くなると別世界が広がる。陽射しにあっという間に消えた。