枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

天皇誕生日にて

2020年02月23日 | Weblog
 仕事に行ってきます。早出勤務の日であり、明日が朔日なので、Aさんちに寄らねばならない。卵も頼んいるのだ。加えて図書館に予約本をしていて、受け取りに行かねば、明日明後日は休館日となっている。速攻で帰り、ギリギリセーフで間に合ったが、事故はしたくないので、速度を守っての運転である。気分的には宜しくない。

 ヨシタケシンスケさんの新刊が出ていて、除けておいてくれた。もしもの世界。へぇ…、もしもって言うよりか、わたくし等何時もそういう設定でいるから、日常時が分からない。常に考えていることで、世界はそれで成り立っているものと信じている。どうするんだろう。変人と言われても動ぜず、にたにたと含み笑いでいるのね。

 でも。相手にしてみれば、非常に遣り難い、扱い難いこと夥しい。うんざりしたり、腹が立ったりすることだろう。波長が合わない、馬が合わない、悪く言えば面倒くさく、憑かれる相手に違いない。然し、こちらは何がどうあろうとも、自分の信念を曲げないし、飄々としているかと思えば外れたことにも、気づかないでいるのだ。

 わたくし自身、頑固者であり、間違ったことはとことん追求し、有耶無耶な理由では納得しないので、嘘をついていたり、騙したり、誤魔化そうとすることに怒りを覚える。赦すという言葉の持つ意味が如何に深いか、心の中では妥協はなく、そういう輩とは決別してしまう。でも、そういう者は、何故か必ず報復されてしまうのだ。

 最近は、自分のことであれば、黙殺することにした。相手になっても仕方がない。というよりも疲労困憊になって、心が消えてしまうので、余りの莫迦々しさに止めた。もう勝手にしてくれ、何をやらかしてもいいが、5m以上は近づかないでくれ。と静観している。人間も歳を重ねれば妥協するのではなく、阿保らしさにこけてしまう。

 細菌に乗っ取られた地球になり、地球外生命の繁殖力に怯える生活に一変する。眼に見えないという恐怖は、何時何処で感染するかが不明なのだ。これで人類が少なくなれば、戦争も無くなるのではないか。自分の棲んでいる場所を動かずに生活し、遠くに移動しなければいい。交通機関が途絶え、情報も限られて来ると、どうなるのか。

 すばるのドアップ。今も、服の間に潜り込んで、屁をかましてくれた。甘えん坊の陰猫でもある。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする