枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

睦月、雨水・若潮

2020年02月19日 | Weblog
 二十四節気 雨水 冬の氷雨が陽気に溶け、天に昇り、雨水となって降る、の意で雨水と言う。毎年、二月十九日頃である。次第に春めく季節ではあるが、雪花が散り、霰や雹が不意に落ちて来ることも有る。早春賦の歌詞を思えば、なる程と納得するものの、気温の低さに身震いする。兎に角指先が冷たいので、思わず手を擦り合わせる。

 新聞で、国会の答弁を読んでいると、実に馬鹿莫迦しくなってしまう。人間の謙虚さは元より、国の運営をしていいるのか?と首を傾げてしまうのだ。否、国会とは狸の騙し合いかと言うよりも悪く、馬の鹿の集まりだったの?例えの馬馬や鹿には悪気はない。辞書を引いて考えなければ、真実も伝わらない。募るも募集も同じでしょう?

 実に明解であるのに、わざわざややこしくして、難儀なことにしてしまい、更なる混迷に至らせる。学校に行ったのかと思えば、金に任せての坊ちゃん大学。気儘で思い通りになることには、積極的だが、難しい事や外のことには、金での解決ばかりだ。加えて、庶民の生活など厭わず、金持ちの遣りたい放題である。国会議員の資格ない。

 謂わば、国民の命をも預かっている立場ではないか。その日の暮しが出来なくなる施策で、貯蓄することにも至らない。働くことは元より、生きて行くことさえ覚束ない現状を、どう考えているのか不明では、トップの座は要らないだろう。諸費税は無くとも、物価は落ち着いていかせる算段をすればいい。それを儲けばかりを優先してる。

 月の女神が恋したのは、羊飼いのエンデェミオンだった。そうとも知らず、友達の恋を応援する。

 自国の民を思うことなくして、他国との交渉はできまい。命は何よりも重い、ことを知っていないのか?生活の算段が立たないのを、己が悪いからと言うが、誰でもが2千万もの大金が貯められる訳ではないのよ。富裕層だけの特権でしょう。身内びいきはするが、庶民の生活には知らん顔で、国政は不可能でしょう。直ちに辞めてくれないか。

 明日の暮しをどうすればいいか、悩んで居る者や、独りでの生活維持に懸命な者も居る。路上生活者も、好んでしているとは思えない。希望も夢も捨て去り、死期を待つだけの生き方を誰に責められよう。明日は、わたくしかも知れません。この際、新型肺炎人類が滅ぶのもね、地球の選択かもしれない。兎角人類は驕り過ぎた。覚悟も必要。
コメント
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