枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

PC周りの片付け

2022年03月14日 | Weblog
 この10日間程、PCの周辺をどうしたら使い易いか思案中だった。物を増やしたくないし、手勝手の効率を考えれば場所の移動しかない。あれをこっちに、向こうをあそこにと何度も遣り替えて今朝やっと落ち着いた。加えて、机の上をシンプルに纏めたい。メインはPC、星の本も置きたいので散々考えての結果になった。横着者の整理整頓は無駄も多いかな。

 昨夜春雷を聴き、読みかけの南総里見八犬伝を紐解く。これが面白いと云うか、場面の展開が何とも鮮やかに記憶を探る。想像と空想との狭間に翔けていけるのも愉しいもの。歴史物を読む時には、必ず旧暦での参照でないと違和感が強いのよ。新暦と旧暦の表示も用いた上で、書物は読んでくれないだろうかと思う。時代設定も、令和ではありませんから。

 昨日、明日には雨かな?と肩凝りと耳の痒さで感じた。春先の埃や芽生えを促せる雨に、祈りと感謝です。気温は平行線だが兆しに桜の開花も頷ける。一様に早く・速くと急かさないでも、春は確実に訪れており気づかないことも多い。足元に、空の色に春を感じる。あの華やぎが、これから一斉に押し寄せて来るのだ。風の吹く音色にもやさしが聴こえる。

 これからの農事には、溜まっていた作業が目白押しだが慌てずにしよう。枇杷葉の葉先に新芽も見えるが、霜が降りると呆気ない。初夏の時期を待ってなのも、古人の例えでよくしたものだと納得。無理をせず、与えられた真実を謙虚に受け止めて進もう。誰かではなくそれがわたくしであることにも、意味が深い。自然・宇宙からの啓示が届いて目覚める。

 奈良のお水取りも済み、お彼岸が近くなって心を引き締めて行く。連番の他にも、視えて来る数字があるのも不思議さを伴う。それが成就されるように、きちんと向かうことも大切なのだ。精神修行は中々であるが、怠ることなく努力を積もう。命は自分の物であって、自分の物ではないことに気づけたことの意味は大きい。何もかもでなく一つのことから。
コメント (4)
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