枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

春の雪・・・

2015年03月11日 | Weblog

 淡雪、名残雪、とも思える春の雪は、降ってくる傍から、消えていく儚さだ。昨日に続いて、天気ではあるが空から落ちてくる。図書館に読んだ本の返却に行く。あれだけ多くの犠牲を出したことも、今は過ぎ去ったこと。歳月は忘れ去り、気づきもしない。

 希望休にしたのも、自分への戒めにしたかったからだが、関心の薄さを想ってしまった。原発事故の恐怖など、なかったことのような世界だ。オリンピックの開催に向けて、事実をひた隠しにして、突き進む横暴さ。復興や、絆にも、糸が途切れた痕ばかり。

 チェルノブイリの事故では、外国のこととしてしか考えることもなかった。にがよもぎ。あの場所が、元に戻ることは決してない。地球を汚染だらけにして、棲めなくして、誰がうれしいのか?否である。それなのに、地中深く埋めてしまえば、片がつくの?

 星新一の『おみやげ』を思い出す。娘の小学校の国語の教科書にあったが、この時点で危機感を抱くことは希だ。原発は、未来の新しいエネルギーとして、脚光を浴び始めていた。いつの時代でもそうだが、自分の意思を貫くのは、生死を問われること。

 事故が起きれば、どんな事態が起きるかは、専門家には知られていた。化学の危険性を熟知しての研究も、庶民が知らされていなかっただけ。想定外ではなく、予測は可能であった。島国の地震震源確率高い、日本でもある。しらを切るのは辞めて。

 真実の鏡があれば、日本人はおろか、地球上には人類は稀少となろう。自分達の執っての、住みよく便利で快適な暮らしを求め過ぎた。今尚、避難生活を余儀なくされ、希望のみえない方も大勢だ。行方不明者の多さにも、言葉が無い。魂よ安らかに。

 はり灸さんから送ってもらった、灸をすえている。これがよく効いて、胸の痛みが軽くなってきた。肩凝りは残っている。背中への激痛は減ってきた。寒さもあったろうとは思うが、疲労困憊の状況では、介護の仕事はできない。という事にも気づいた。休養。

 作秋、初冠雪の日に、折りしも新幹線からの眺めとなった。すこぶる晴天に加え、雪が降ったばかりの富士山。

 

 


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