二十四節気 小雪 寒気つのり、雨凍って雪となる意味で、小雪と言う。この頃より、風も寒冷の気を運ぶ。毎年、十一月二十二日頃である。夏が酷暑と騒いでも、秋の短さを憤懣しても季節はそれなりに動くものと身体で覚る。
四季折々の暮らし、月の満ち欠けを基準に中て過ごせること有難い。情報に流されず、自然に訓えてもらえることも備えての感謝に至れる。便利さや手軽さ頼り・丸投げ依存だと身体はもたない。それらの心構え怠れば影響大。
閏年の時期には、記憶を呼び起こして慎重な行動も必要。環境の変化にて、温暖化加速とあるが機械依存も少なくはない。年金暮らしの節約・倹約、身体は徐々に慣らし生かされを覚れり。寒さは苦手だが、工夫も大切。
箪笥の中には余所行きが吊るされ、滅多と着る機会も減った。最近は、家籠りなので更に拍車がかかるのをファッションショー。洗濯は手洗い、アイロンのかけ方も学べる。時間はたっぷり、資金は乏しいが知恵を授かれる。
体内の仕組み不明なれど、寒さや暑さへの対策は枇杷葉茶の飲用。血管の詰まりや破れを修復させ、流れを促すマクロルンバの働きにて堪える心も養う也。急かず・諦めず・妬まず、自然へ抗わず心は清くとの心掛け持続。
命を与えてもらい肉体を貸されて生きる、様々な人生こそ使命全う。若年所以、未だ遠き道程彷徨うこと多くあるものの心の繋がり想える。不平不満を言葉に出せば、病を呼び込む。刻が懸かっても、自らに問うこと大切。
今朝も霧が辺り一面に撒く有り様、大気の澄む頃の現象だが先が見えぬ。夜空は、北の宙から東へと初冬の星々が観え愉しみとも。
本当に自然はすごいですね。
夏が酷暑と騒いでもちゃんと季節はそれなりに変わっていきますね。
四季折々の暮らし月の満ち欠けを基準になんて〜とてもとてもです。
二十四節気もニュースやanazannさんのブログ等できいて深く意味も知らずそうなんやくらいで生きてきました。(笑)
いつも教えていただいて有難うこざいます。
先程コメント入れてますが・2度目、作家さんも好みと時代物が多いです。
文章の確かさ、日本語の使い方・綴り等、心に沁みた作品は覚えております。
外国の訳は、意図せぬことや、言い回しの微妙さがあり、?がつきます。
ですので、書かれている内容の把握は個人差が大きいです。
情景が眼前に浮かび、心を解き放たれる話に惹きこまれます。
絵本も然りです。
書き手は、大人が殆どですが、子ども目線も侮れません。
自分の気持ちへのそぐいにも因って、印象は大きく転じますから。
以前にも書いたと思うのですが。
美しいや綺麗と書かず、風の囁きや通り抜ける瞬間を見て、どう思うかは心でしょう?
それを一概に纏めてが、何とも云えない。
年寄りや、物に対しての可愛い発言も。
可愛くなかったら、他人でない言い方が厭です。
着ている服のバランス、或いは物腰に例えれば、言葉も生きいきしてきませんか?
谷川俊太郎さんから、そういったことの多くを学べました。
聞くではなく、聴かなければ判らないとも。
いつも有難うございます。
二十四節気の小雪・・
例年北海道や青森など東北の北部では「小雪」前に雪が降ることも多いようですがこの「小雪」を過ぎると東北の南部や北陸地方などの各地でも雪が降りだす頃となるようですね。
子供の頃、北陸で育った私ですがその頃は二十四節気を知らなかったため記憶が曖昧ですが・・・
先日、区役所へ行く途中、偶然枇杷の木に出会い、あの小さくて可愛い白い花とたくさんの蕾らしき姿を見ました。
咲いていたのは高いところでしたのであの香りを嗅ぐことはできなかったのですが葉の陰で見落としがちな枇杷の花(蕾)を久々に見て寒空の下で身を寄せ合うような姿にエールを送りたくなりましたよ。
難しい漢字で書く時と、かな文字にてでは印象が違ってきませんか?
言葉が文字にも言霊所以ですね。
近くに枇杷葉が植えてあったの?
高い・5m以上でしょうか。
何処かの家なら、無断には採れませんが、少し分けてもらえるといいですね。
枇杷葉茶は、自律神経失調症・血管の掃除を行うので、気分が変化します。
物事への見方を、1㎜変えても違うものです。
お連れ合い様、じっと座ってが多いと察します。
身体への負担軽減にも、枇杷葉茶が宜しいかと。
枇杷湯で身体を温めるのも一考です。
その知らせを、出かけた先に訓えてくれたと思いたいです。
どうぞ、癒されてと祈ります。
ありがとうございます。