
此のところ、勤務先に西瓜がごろごろとしている。然も巨大な物で、庖丁を当てて切ろうにも、何回かでするという大きさ。真っ赤な果肉は、熟れて甘い。水分も同時に補給でき、お腹も一杯になる優れ物で、連日西瓜のお八つだ。これを丹精籠めて作った方に感謝。
人間、贅沢をすれば限がない。夏の時期には果物が美味しい。好みはあれども、文句はいけない。作ってくれた人の労を思い、味わえることを感謝したい。桃なら歓迎と言う罰当たり。葡萄もいいとは何たる悪言。徳があれば、戴けるのだ。西瓜を抱えて帰宅する。
明日は、弁護士さんの所に行く予定が、先方の都合で止めになった。良心的な弁護士さんであり、法律には無縁の者に、丁寧に話してくれる。頭脳明晰はわかっているが、自慢することも無く親切でもある。自分の無力を思い知り、助力に感謝する日々でもある。
人間の質が違うのだろう、と想わずにはいられない。合理的であり、感情を押し挟まない判断にも敬服する。それでいて親身になって、こちらの情況を察してくれる能力に、頭が下がってしまう。世の中には、こういった人間も存在するんだ、と手を合わせている次第。
ケネディが、あの日、あの時、凶弾に倒れなかったら、世界は変わっていたのだろうか。ベトナム戦争も、湾岸戦争も起きなかったのか?世界が変化することもなく、権力の駆け引きで支配するアメリカにはならなかったか。知り得たことは、大統領とは孤独なこと。
書籍で知り得る知識には限度があるが、そういったことで世界が変わる訳でもない。もし、時空の裂け目があったとして、其処に紛れ込んでいたとしても、彼は、必ず命を落とすのだ。苦しみが増えるだけかもしれない。時間を巻き戻す手立ては、無いに等しい。
だが、ケネディ大統領が、腰痛で苦しんでいたとは。これは、驚くべき事実である。日本の民間治療法が、効果を表して、手術せずに治っていたかも。とは思う。枇杷葉温圧療法の施行で、大統領の命が救えたかもしれない。最新の医学が全てではないもの。
友人の家からか、古里の母からの贈り物か、知らない間に育っていた。今では、大きな株になっている。小さな紫の花。
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