枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

睦月、雨水・若潮

2020年02月19日 | Weblog
 二十四節気 雨水 冬の氷雨が陽気に溶け、天に昇り、雨水となって降る、の意で雨水と言う。毎年、二月十九日頃である。次第に春めく季節ではあるが、雪花が散り、霰や雹が不意に落ちて来ることも有る。早春賦の歌詞を思えば、なる程と納得するものの、気温の低さに身震いする。兎に角指先が冷たいので、思わず手を擦り合わせる。

 新聞で、国会の答弁を読んでいると、実に馬鹿莫迦しくなってしまう。人間の謙虚さは元より、国の運営をしていいるのか?と首を傾げてしまうのだ。否、国会とは狸の騙し合いかと言うよりも悪く、馬の鹿の集まりだったの?例えの馬馬や鹿には悪気はない。辞書を引いて考えなければ、真実も伝わらない。募るも募集も同じでしょう?

 実に明解であるのに、わざわざややこしくして、難儀なことにしてしまい、更なる混迷に至らせる。学校に行ったのかと思えば、金に任せての坊ちゃん大学。気儘で思い通りになることには、積極的だが、難しい事や外のことには、金での解決ばかりだ。加えて、庶民の生活など厭わず、金持ちの遣りたい放題である。国会議員の資格ない。

 謂わば、国民の命をも預かっている立場ではないか。その日の暮しが出来なくなる施策で、貯蓄することにも至らない。働くことは元より、生きて行くことさえ覚束ない現状を、どう考えているのか不明では、トップの座は要らないだろう。諸費税は無くとも、物価は落ち着いていかせる算段をすればいい。それを儲けばかりを優先してる。

 月の女神が恋したのは、羊飼いのエンデェミオンだった。そうとも知らず、友達の恋を応援する。

 自国の民を思うことなくして、他国との交渉はできまい。命は何よりも重い、ことを知っていないのか?生活の算段が立たないのを、己が悪いからと言うが、誰でもが2千万もの大金が貯められる訳ではないのよ。富裕層だけの特権でしょう。身内びいきはするが、庶民の生活には知らん顔で、国政は不可能でしょう。直ちに辞めてくれないか。

 明日の暮しをどうすればいいか、悩んで居る者や、独りでの生活維持に懸命な者も居る。路上生活者も、好んでしているとは思えない。希望も夢も捨て去り、死期を待つだけの生き方を誰に責められよう。明日は、わたくしかも知れません。この際、新型肺炎人類が滅ぶのもね、地球の選択かもしれない。兎角人類は驕り過ぎた。覚悟も必要。
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何故、事故は起きるか?

2020年02月18日 | Weblog
 あってはならないことが、気の緩みであれ起きる。想定外と言うが、否怠慢と慣れからくるのだと思える。何を考えていたのかさえ不明で、だからこそ起きたことである。然しながら、正直に言わないと更に怪しくなる。事実を伝えることで、責任逃れをしてはいけない。こういう初体験は厭なものである。でも、偽って迄済まそうとは思えない。

 一日、針の筵に居るようで、居心地が最低だった。今後は、過ちを起さないようにするしかないが、年齢を考えると潮時かも知れない。自分で責任の取れない事には、決して携わってはいけないのだ。働けるのも同情をされてまではしたくない。身体も体力の限界に来ているのだ。これ以上の無理が続くと、今後の暮しに支障が出てくる気がする。

 介護の業務には、若さが必要なことで、瞬時にどうすれば好いかの判断も要る。年寄りが出来るのは、口が達者なことだけである。知識は多く持っているが、それ等の使い勝手は悪くなるばかりだ。間違えたりすることも増え、自分のことさえも出来なくなる。如何なぁ・・・反省をするのは猿でも出来る。人間としての自覚が薄れて来ては為らず。

 自宅でのんびりと過し、図書館に出向き、ブログが更新出来れば最良だろう。平民・庶民では、これ以上の贅沢はありません。沢田研二さんて凄い。実際に生で観て聴いて、物凄いパワーであることを知った。年齢を重ねるだけでは、ああはならないんだ。遅まきの俄かファンではあるが、素晴らしいことだと拍手。激しい動きはDrに止められている。

 タイガース時代のジュリーより、今の沢田研二さんに惜しみない拍手を贈りたい。ここまでの努力と信念に乾杯!若い時には解らなかったことにも、今でなら納得できる想いがある。DVDを繰り返し観ながら、観客は独り(自宅なので)だが素敵な時間が持てる。このありがたさと愉しみが続いてくれますように。心から願い祈る。古稀を過ぎて尚。

 冬の宙に輝いていた星も、少しづつ位置を変えている。惑星も変化があって、明け方の宙に観えている。明日は、雨水でもある。天皇陛下の誕生日を過ぎたら、如月となる。月日の速さについていけない。光陰矢の如しであり、忘却することも多い。最近、子どもの頃のことを無性に思いだす。今は、祖母も両親も亡く古里もないのに、夢ばかり視る。

 日溜まりを見つけて移動したすばる。と言っても、パソコンのある部屋で、椅子の足元に動いただけ。
 

 
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背が縮む・・・

2020年02月17日 | Weblog
 健康診断に出向いて、何が一番ショックだったか、と言えば身長が縮んだこと。この数ヶ月の間に、上の物が取れなくなっていて、もしかしたらとの想いがあった。それにしても2cm短くなってしまった。これは大きい!年齢を越して来ると、小さくなると言うのは聞いてはいたが、自分の身に関係するとは、予想外の出来ことである。

 加えて、箪笥の上に物が乗せられなくなった。気合をどんなに射れても、その体力に欠ける。従って、転倒を回避するために、下に置くことが多くなった分、片付けに困っている。整理整頓をしたいのだが、やれば取るのに難儀な結果になる。テレビで乱雑な様子を、綺麗に片付けるが、あれは若い者に言えること。年寄りには向かない。

 感染の、ノロもロタも、インフルエンザにも罹らないが、新型のウイルスにはどうだろう。嗽と手洗いの施行で、何とかもっているが、蔓延すれば危険からは逃れられない。枇杷葉茶が効くのは明らかだが、昨日今日の付け焼刃では無理です。根気と持続の結果があってのこと。消毒も、枇杷葉エキスでするので、薬局に行くこともない。

 すばるの餌を買い込んでおく。支払いも期日前にしておく。出掛ける時には、用事をメモしておいて、遠い方から片付ける。無駄な場所には行かず、極力自宅で過す。時間も惜しいが、金も無いので安全のためだ。飲み物も、珈琲と枇杷葉茶があれば好いし、ご飯を炊いていれば、お結びもお茶浸けも可能。野菜を煮込んでいるのである。

 室内に居れば、寒さは感じない。衣類での防衛対策を取っているので、寒さに震えることもない。況してやコートを羽織っていれば、何と言う不便さも感じない。自然の恩恵を感謝していれば、次第に春の陽気に近づく。梅がちらほらと咲き出し、先日よりもたくさんの開花だ。枇杷葉にも花芽がゆっくりと開花している。花芽茶も出来た。

 他人を羨まず、自分の出来ることに感謝し、神に祈ることで生きていける。神とは自然そのもので、森羅万象に値する。宇宙の起こり、季節のサイクル、人間の都合勝手でなく、摂理や倫理の起源かも知れない。そういった自然への想いを秘めていれば、何かが起きてもへこたれない。機械や薬に頼っていると、無い物強請りとなることも。

 朝から時雨があり、小雪が舞ったりもしている。天気不穏に洗濯物が気になるが、外の様子を見ながら出来るのでブログの更新。個人の気儘な出来事を、応援してくれる方が居るのはうれしい。でも、こんな内容でいいのか?とも思う。余り変わり映えしないので、そのうちに飽きて来ないか?沢田研二さんのコンサート地元開催が消えた。

 こうなったら東京まで行くかな?オリンピックには興味がないが、コンサートには行きたい想いが強いのだ。夏までに決めることにして、サイトに注意していよう。リエさんは印度旅行で留守で、今日辺り帰国するのか?kazu君も一緒なので、心配することはない。土産は、ガンジーの国の現状かな。発展途上国のため生活は貧困の差が大。

 印度が英吉利から独立して、今日までの軌跡には、ガンジーの教えが大きい。非暴力には断食をして、武器でなく粘り強さの心がある。DVDを何度も観たが、無抵抗の人間を大量に殺せる理由は何だろう。時代は移り変わっているが、沖縄の阿波根昌孝さんの非暴力にも、大いに学ぶところがあるのに、日本は戦後沖縄を虐げ続けているよ。

 餌で釣ろうとしたが、今は満腹状態らしく、飼い主の座りたい意志を無視している。猫も転寝は最高なのね。
 

 
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睦月、下弦・小潮

2020年02月16日 | Weblog
 感染の拡大に大わらわの現状。嗽・手洗いは常のこと、身体を冷やすのは避け、季節に合った格好をして、機械に頼らないことも大事だ。個人的には、暖房は衣類で調整し、足元に湯たんぽの暮しで過すので、然したる出費もない。ところが観葉植物の撓れ枯れるのに慌てた。従って、温度調整は物云わぬ生き物に対してのことで、自分ではない。

 身体の管理は己でするのが基本で、枇杷葉茶を飲み、通草酒で嗽をしつつやっている。そこに化学物質のハイターが邪魔をして、折角のバリアーが壊されてしまった。呼吸が出来なくなり、扁桃腺炎を発し、おまけに発熱して倒れた。要は、温かくして睡眠をとるのが好い、と身体を休めた。病院受診など以ての外で、行けば却って貰うことにも。

 千振も霊験あらたかで、自然からの恩恵となり、素直に信じて飲んだのだ。薬には、薬害があっても効果の程は不明。医者嫌いの者には、薬も必要なく、薬草の加減で治るものだ。悪い所はありません。と云われるが、それには旬の物を頂き、自分に合った方法での維持に努めているからだ。但し、年齢にはどう足掻いても無駄で、物忘れもする。

 病は気から友云われ、自分で病む必要もない。以前には肉は避けていたが、身体を維持するために、少量を決めて口にする。年間での金額や日数ですれば、無駄にはならない。枇杷葉生活を始めてから、既に10年経っているので、これ以上の改善には至らない。足も腰も、痛みがあれば手当てをしているので、動けなくなることにはならないの。

 蒟蒻と塩の役目も、究めて大きくまさに究極の選択でもある。祖母のしていた方法には遠いが、一つづつ確実に行えば好い。専門の知識は無いにせよ、学ぶことの多さに感謝する。自然からの恩恵には、人間の気づきで教えてもらえることが多い。過ちを犯しても、教訓にすればよいことで、次の時にはしないことで、森羅万象を感じるものだ。

 洗濯物を何処に干すか迷うが、雨の確率もあって室内にした。本日一日努めたら明日は休みである。リエさんは印度旅行中で、蕗の薹が送れない。これからは春の恵が沢山取れる。蓬も芽吹いている。山菜も、高齢者が自前の山で採取するので、行けなくなれば届かない。春の山は、清水が湧きだし、芽吹きが美しい。昨今は山が荒れているが。

 宇宙の光芒には、必ず光と闇があるもの。だからこそ星の輝きには、命が宿り、爆発して消えていくのだ。
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北国の事情・・・

2020年02月15日 | Weblog
 寒さの厳しい季節があるから、古来培われて来た酒作りがあるのだ。麹を使って寝かせ、清流を注いでいく。酒蔵の大きな壺は生きている。フルンブルンと息づいて米と麹を馴染ませるのだ。厳正であり、力強く混ざり合う。酒の旨味には、人の心も多分に篭る。杜氏の想いを存分に、清らかな味に仕上がっていく。日本酒も、燗をしないなら呑める。

 今朝、余りのしんどさに上司に連絡するが通じず、職場に午後からの出勤を伝える。左側の背中が突き刺すように軋む。健康診断も行かねば支障が出るので、仕方なく参加したが、病院での顔触れを見て、早々と退散したくなった。職員の対応には、別場所で出来ないものか。健康診断どころか、感染させられる疑いが濃い。手洗いも嗽も徹底しよう。

 オリンピックは中止にしよう。コロナウイルスは世界中に蔓延している。こんな状況での開催こそ世界の破滅でしょう。防ぐ手立てもないという有り様で、集中して感染すれば、医療も環境もあったものではない。日本だけの問題ではなく、今や世界の問題です。地球は一つの星です。これは宇宙からの侵略に相違ない。人類が、諍いを止めて平和を。

 ノアの時には洪水であったが、近代の盲点を突くのは、空気感染しかない。眼に見えないものには、感覚でしか分からず、従って防ぐ手立てがないのも同然だ。枇杷葉茶の効能で、個人的には無事でいるが、生き残ったからと言って、独りでは生きていけない。人類が、海を宙を汚し、大地にまで及んでいる現在、成していく術も見つからない現状だ。

 自分だけが助かっても、存在する意味もない。何がいけないとか良いとかの問題でもなく、これまでの環境にしてきたつけは大きい。地球が壊れてしまっては駄目なので、再生できるように願うしかない。物言わぬ言葉を持たないことを、蔑ろにしてきた天罰でもあろう。中には少数の者が、気付いて来た事実はあるが、行動に移せないでいたことも。

 人類凡ての責任があり、負の遺産ばかりが残る。ここまでの残虐行為にも、自分はしてこなかったと白を切るか。厭々、わたくしにも同じ罪はある。誰もが何かをしてきたからこそ、地球が嘆いてもいるのだ。調査したデータを記載せず、隠蔽するばかりの人間に、何が齎せているかと問えば、賄賂に間違いない。金で口を覆う方法は脆く暴かれるよ。

 昼寝をしていたのを起こしたので、すこぶる機嫌が悪い。飼い主の隙を伺っており、知らぬ顔の半兵衛。

 
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何なのよ。

2020年02月14日 | Weblog
 健康診断に予約を入れていたので、昨夜から絶食のまま病院に向かう。珈琲を飲んでいないので頭に霞がかかったようだ。誕生日も西暦で、と言われてもさっぱり出て来ない。体脂肪を測る計器は自分でするようになっている。操作方法など更に分からずである。どうすんでしょうか?若い人には分かることも、年齢を重ねるとめんどくさい。

 次の予定を済まそうと、勤務先に行くが、事務所に問い合わせて時間を決められる。多忙なDrですから、機嫌を損ねてはならないのです。洗濯を何杯も済ませて、時間が来たので趣く。事故報告の最終段階である。どうにか判子を貰って一安心だが、気分的に滅入ってしまう。自宅まで帰る途中図書館に寄り、返却と貸出しをするが疲れたわ。

 朝から新聞が落ち着いて読めない。昼は、五目御飯の温めで済ませ、友達に会うために三度目の往復に出る。珈琲を淹れたのと、チョコレートを渡し日頃の愚痴を聴いてもらう。職場の無責任と自分勝手さに嫌気差したと訴えると、解ってくれて頷く。済んだことは還らないが、何故そうなったかを知ろうともしない。それこそ自分勝手だよ。

 三隣亡でもあるが、山に行けば梅が満開だし、春蘭も咲いていることだろう。暖冬だからではなく、季節の先取りなのだが、それでも次第にずれてくるのに不安になる。我が家の梅も咲き出し、白い花弁が可憐だ。梅一輪の温かさとも言うが、香りの佳いのにうれしくなる。水仙も、多々ある中、日本水仙が咲き出して、これは強い匂いです。

 クリスマスローズも、次々と開花している。時雨があったので、雨に濡れた風情も綺麗である。花は、自己主張をして、蝶や蜂を誘い、花粉を運んでもらうが、この時期には、生憎と飛んでいない。昆虫にはちょっと寒いのね。蟷螂が産みつけたのが桑の枝に見える。枇杷葉にも葉裏を見れば、何かとくっ付いている。自然の環境は無駄がない。

 先日、正月であったと思うのが、既に2月も半月が経った。旧暦では未だ睦月で、外国の催しに押されている。バレンタインもお菓子業界の企みだと知っているが、日頃お世話になっている方に、お礼の気持ちを現わすのには都合が好い。配りました。その場に居た幸運な者にもあげ、居なかった人は残念ですがありません。リエさんは印度です。
 
 暖かさが続いているかと思うと、急に冷え込むことがある。雪の降る様は、深としてくるから判る。
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旧二十日正月

2020年02月13日 | Weblog
 天気も、晴れがあれば雨にもなるし、曇り空にもなるもの。自然の現象には、それぞれが意味を持ち、各々の成り立ちがある。天地創造で、光が溢れ闇と分け、風が出て水を離して、土を現わせた。言葉で書けば、実に簡単なことにも、重力があり質量や遠心力の働きで、岩に転じ山や海と陸に姿を変えた。地球の神話は国は違えど共通する。

 人類が、好き勝手を行い、神の存在を蔑ろにしてしまったから、言葉を増やして通じないようにされ、生活の異なる種族に変えた。地球は、誰のものでもなく、棲むものが感謝と祈りをしさえすれば恵みが施される。それを人間は満足しなくなって、争い殺し合った。そうして今尚、自国の主張を譲らない。何と愚かな行為であることだろう。

 自然のサイクルを狂わせてまで、人類は何をしたいのであろう。その行為には、自分達の棲む場所を、自ずと捨てていることに気づかぬ。天国も地獄も、己の心の中に併せ持つことで、自分で気づかねば神の声は聴こえない。マグダラのマリアを観ていて、これまでに心に重くあった疑問が解けた。姿は女であれども、人間には変わらないよ。

 不安定な夢を視てしまう。でも何か意味があるのだろう、とは思うのだが、混沌としていて不安を増すばかりで、更なる恐怖を生む。これが地球の苦しみであれば、哀しみに粉々になってしまいそうだ。修業が足らぬなぁとして自分を諫める。人間の業で、清廉潔白とは言いませんが、可能な限り嘘をつかず、謙虚でいたいものと思うのです。

 噓も方便という諺があるが、相手が困らないのが基本です。騙されたと怒るようでは、これは何かで傷つけてしまったことになる。でもやはり、嘘は、つかないのが前提です。国民を騙し混乱に陥っている国会には、唖然とするばかりですが。此処迄嘘を嘘で固めておいて、陽射しに晒せば、溶けていくのが当たり前です。そんなことも分らず。

 マスクは生産が追い付かないようで、何処に行っても無いようです。マスクオブZEROです。怪盗の呼び名であったようにも思うのですが、この際、手拭いを巻くか、鼠小僧のようにもするのはどうかな?何も、あの形でなくても好いように思う。要は、移さないこと、もらわないようにすればいいのだからね。仮面舞踏会でもやりましょうか。

 業務の中で掃除をしていて汗が噴き出した。暖房も消しての感染予防だが、一気に暑くなったのはどういうことだろう。自然現象に異変が起きているのも、何処かで狂ってきているのが解かる。厭な感じが抜けないので、地震が起きるのも、津波が襲うのも予測しておきたい。機械に頼って生活すると、避難生活で破綻してしまう。忍耐力を。

 宇宙の様子には、時間を知ることも、或いは明日の天気がどうかも分かる。流れ星にも遭えるよ。
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春の兆しに・・・

2020年02月12日 | Weblog
 昨夜、耳が痒くて仕方がない。これは雨だと思っていたが、降り始めたのは午後になってから。何でも三日程続くと言う。気温は暖かく感じるので、雪にはならなかったようだ。これも季節の移ろいであろう。何時までも寒いかと言えば、そうでもないが、寒さのぶり返しはあるもの。そういう時に風邪を引くので、体調には気をつけたい。

 某新聞の記事に、インフルなどに罹っても、直ぐに病院受診したり、薬に頼るのは賛成できないことが書かれていた。風邪を引いたら、温かくして眠ることと、胃腸を労わってやることだ。やわらかで栄養のある食べ物にしたい。お粥に梅干しが好いのだ。加えて、水分補給も大切なことだ。然し、白湯の意味が違う。ポットの湯冷まし否。

 水を沸騰させ、数十分煮立てて自然に冷ましたものを、白湯と言うのだ。或いは、湧き水や清水であれば、尚更に良いのは言うまでもなく。これは自然栽培に載っていたのだが、味が全く異なるので、一度試してみられるのも好い。枇杷葉茶も、水道水で沸かすのと、名水や井戸水での味では差が出て来る。個人的には、カルキの臭いが厭。

 銀河には余り飲ませることが少なかったが、すばるは来てから毎日飲む。従って猫の臭いもしなければ、トイレも不快なことがない。人間では体臭が消える。紙魚や雀斑も無くなる。化粧品で隠さなくても、誤魔化さなくても心配ない。然し、年齢の刻みはそのままでもある。わたくしは、そういう自然さが好いので、枇杷葉茶を愛用する。

 洗髪も、シャンプーで洗うとフケが出る。バックスナチュロン社のボディーソープを使い、塩で揉むと、痒みは消えるし、べたつきや臭いも消え、さらさらに変わっていく。身体中を塩で揉むので血行も良くなる。粉噴きも無くなり、艶やかに転じる。枇杷湯で身体も温まるし、病気にも罹り難い。自然の為せる力には、不思議と謎が多い。

 化学的な事も、医学的なことにも疎いが、信じて行うことで効き目は変わる。感謝の心を常に持ち、自然からの力を戴ける幸せに、これ以上の言葉もない。ありがたいことである。水の想いや山の、木の想いにも、人間中心の驕りさえなければ、災害も起きないのだと思える。あらゆる物に命は宿る。地球に棲むのは人類だけではないのだ。

 図書館の駐車場で、今まさに沈んでいく太陽を捉えた。金星の輝きも素晴らしいが、自然からの恩恵も。
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睦月、十方ぐれ入り

2020年02月11日 | Weblog
 自分勝手な内容を、応援してくれる人が居ることに驚く。枇杷葉に関しては、間違ったことを書いてはいないが、それでも個人の意見であり、その想い込みなので危険かなとも考える。大勢の中から賛同を得ることは難しく、どんなに親しい者でも、意見の対立はあるものだ。但し実際に予知出来ることには、云ってはならないことも含まれる。

 昨日も、燃料補給に行っての会話で、留守だった時のことを話すと、矢張り入院されているようで、視えたことに身震いした。枇杷葉を勧めるのには、病気の原因が分かっているのと、今なら防ぎようもあるのだと、警告のだとの思いがある。だが聴く耳を持たない人が多数で、或いは枇杷葉の効力を信じていないので、倒れてからの後の祭り。

 星を眺める絶好の機会を、寒いからという大人の都合で、子ども等を閉じ込める。寒いからこそどうすれば好いのかを学ぶのだ。災害が起きた時に、そういった経験があれば、生きていけることにも繋がる。人間の存在能力を引き出す。暖房の利いた部屋で、スマホをいじっているのとは訳が違う。人類が滅びるのも自業自得というものかもね。

 高齢者にも言えるが、過度な介護は必要なく、自立うんぬんよりも、生きて行くべき手助けをするのが先決で、乳母日傘では何かあった時に、自分で考えることが出来ない。今まで一人で生きて来た者が各部屋の狭い場所で生活するのだから、問題が生じるのは当たり前のこと。好い事ばかりを最初にうたい文句で言わず、的確な内容を伝えよ。

 高齢者の中には、上手く騙されたと臍を噛む者が増える。初めにきちんと伝え、自宅には帰れないことも言っておくべきだ。認知症状があっても、納得できるように話せばいいので、それを有耶無耶にしてしまうから問題が出る。詐欺であるか、ペテンであるかは定かではないものの、日々募る帰宅への思いには、裏切られた切なさが籠るのだ。

 白枇杷の葉を採っておいたのだが、中々切るに至らずであった。すばるのトイレも換えねばと、その前に箱に詰めた。蜜柑箱に丁度一杯になる。赤枇杷のは未だであるが、花芽を先にしておかねば虫が入る。何やかやと家事の用事も多くあり、順番にしている心算であるが、一向に片付かぬ。これが年齢を重ねてきた実感でもある。光速は一瞬。

 本日は、何と言う暖かさであろう。我が家の梅が綻び始めた。青空市までの川沿いには、白梅も満開になっている。やはり20日程早い。今年は、桜も早々と咲くであろうが、オリンピックは酷暑の連続で、選手の健康管理が追っつかないだろう。日本の梅雨時を侮ってはならぬ。不快指数が増え、世界から集まる人の多さに、パンクしてしまう。

 すばるは枇杷葉茶が好きである。特に花芽茶が好みで、花弁を食べている。サラダにして食するのもいいかもしれない。やわらかくやさしく香りの佳いのも特徴で、鼻を擦りつけているのが可笑しい。猫にも分かるのである。それにしても、ハイターの臭いに辟易してしまう。しんどさが抜けないし、息苦しくなる。頭の芯も疼いてしまうのだ。

 指定席に決めている場所は、温かくて気持ちが好いらしい。飼い主でも座るのを遠慮する。怒っている。
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特異体質にも

2020年02月10日 | Weblog
 先日の休みに、足湯をしたところ、急激な差し込みがきてしまった。職場の若い娘の手当てに、身体が毒を吸ったものと思われる。悪い物を寄せ付け、しんどくなると手当てに来るが、何度遣ってみても、こちらの言うことを聴かずなので、一向に改善されない。同時に、とても重要なことを教えているのに、心に留めないので繰り返すばかり。

 昨今の事情や、若い者の考え方には付いていけぬが、枇杷葉の効能には耳を貸さねば、治るものも駄目になる。母乳も飲ませなければそれもいいが、熱がするから切った。というのは違う。乳腺炎になっていれば、よく出ている証拠なので、飲み切れない場合には、絞って南天の木の根元に捨てる。またきらん草が、苦いがとても良く効くのだ。

 根本には食生活が伴う。便利で簡単な生活ばかりだと、身体の異変が起きても、自分での判断にも欠けるし、自然治癒能力の妨げになる。漢方の知識にも様々で、これは自分で遣ってみるしかない。わたくしに予知できることが、誰にでもあるとは思えないが、心を穏やかに持って居たり、日常に気をつけていれば判ることも多い。自分を知る。

 医者が好きな者に行くなと言うことは出来ない。反対に、病院自体が好かない人間も居る訳で、それなりの想いにも違いがあるものだ。わたくしは、自分の身体には、自分で責任を持つこと、例え病が見つかったとしても、身体の一部を切る事等、思いもつかないのだ。仲良くすればいいではないか。枇杷葉茶に感謝し、自分を戒めることを忘ず。

 歩行が困難になった時にも、枇杷葉温圧療法を施行して、必死の想いで治した。この宇宙には、人智を超える何かが存在している。それを信じているからこそ、諦めずに実行する。そうすれば必ず援けてくれる。神への信仰には乏しいが、視えないものにも命が宿り、もの援けを求む者には、エネルギーを分けてくれる。疑うこと等有得ないのだ。

 従って、手当てで取った物を感謝せずにいると、病は繰り返し治ることもない。治療費を貰う訳でもなく、自分を犠牲しての施行を、本人が何処迄想っているかにも由る。それが、結果として出て来るのだと確信している。わたくしには治す資格も、料金を貰える立場でもないので、心次第で病が変化するのだ。それが分からいことはとても残念。
 
 痛みがあり熱をもっている患部を、湿布で冷やすのは良くない。枇杷葉の生葉を当てて、じっとしていれば落ち着く。その後に枇杷葉温圧療法を行う。蒟蒻にも、医学的に素晴らしい力が備わっていて、毒素を吸い出してくれる。食べて好し、治療に用いて好しである。東洋医学的にも認められており、わたくしが今更述べることでもないので。

 書籍に、人は何故、星を観るか。というタイトルの本があった。星の位置で季節を感じ、時間を知った。

 
 
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