枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

自然の驚異

2022年03月17日 | Weblog
 昨夜、寝入りばなを地震が起きた。我が家では、すばるがそれとなしに知らせてくれるので行動で判断すればいい。ブロ友さんには前以て話していたので、慌てることはなかったようだ。加えて、潮のことや月の関係での満干潮が大いに影響するのも心得たい。大潮の満潮前であったのも震度を強めた。雪が局地的に異様な程多く降るのには、自然の警告も。

 今朝は、春霞そのものである。本日は、お弁当の配達もなく足湯にも来ないのでゆっくりしている。良くしたもので、身体が疲れていることに気づく。布団干しは中止にして、庭を徘徊しクリスマスローズを数本貰う。零れ種で増えるのを切るが、茎に蕾を見せている。やさしい色あいが何とも心地よく、台所に飾る。テーブルには枇杷葉の花芽も挿している。

 朝、カーテンを開けて出窓の鉢物に挨拶をする。おはよう・暖かくなったね・元気かな?声をかけていく。不思議なもので、植物にも心のあることが判る。写真にも通じることで、意図する処が見えないと唯の写した物でしかない。無論構図の撮り方にも、対象となる被写体が異なるもので訴えて来る意味も違う。其処には自然からの物語が紡がれ語られるよ。

 勿論のこと、機材の高価さもあるだろうし技術の備わりも否定できない。然し同じ被写体なのに、観た者の心を捉え離さないのには一体何が違うのか。そこに存在する命への想いでは?と個人的には考える。きれいだなぁ・美しいとシャッターを切るだけでなく、素直さがなければ生きては見えないのではないか。この世には、人間以外にも命の繋がりが多い。

 体調が肩凝りと腰痛不良を教えるので、枇杷葉の生葉を当てている。懐炉を外したこともあって、体温の調整に今少し慣れてないからだ。夕方になったら肌寒いこともあり、用心には越したこともなくである。年寄りの冷や水にならぬよう、温かな食事を心がける。最近は野菜を使い切ろうとスープにすることが多く、塩だけの調味料の旨さに填まっているのよ。
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如月・社日・大潮

2022年03月16日 | Weblog
 暖かい…のを一気に、暑さも押し寄せる気温です。梅が満開になり、クリスマスローズがあちこちで咲き競う庭に微笑みも。何しろ放ったらかしでの育成なので、咲いていたのが失せたり零れ種から発芽だったりです。それにしても、色あいが微妙に異なるのでため息が出てしまう。もしかしてエンゼルナンバーが密かに教えてくれて、気づかせるようにしたのか。

 中でも眼を惹くのが、薄い桃色に雀斑模様と白に淡い桃色の縁取りが風にそよぐ。苗を買った時点では、もう少し桃色が濃くだった。それが種を撒き散らし、そこら中で発芽状態になって苗を鉢に移植した。まだ小さな儘のもあるが、新たに花を咲かせたのもある。年末から白色が咲き始め、今冬の寒さにじっと待っていたのだろう一気に綻んで庭を彩る様に感謝。

 今日は、梅も満開となり馥郁と香る。ヒアシンスが土から覗いて、木通もゆっくりと芽吹きを見せる。お彼岸が近くなり、気温の上昇に水遣りもしておかねば。布団は、太陽の暖かさを取り込み膨らむ。心が浮き立つ想いに溢れるが、地球の片隅での諍いに胸が塞ぐよ。自国の利権ばかりを主張して地球を壊さないで!権力者だけの物ではないことに気づきたいね。

 すばる。陽射しに誘われての窓際にて微睡んでいるが、網戸付近で停まる。飼い主が言い聞かせてのことは、しっかりと分っているようね。外に出ても好いけど、呼んだら直ぐに帰れる?あ・できないのかじゃあ駄目です。しょんぼりしているのを見ると、自由気儘な生き物への虐待とも思えるが。それにしても脱走ルンバは、一体何処に居たのかが謎のままだわ。

 昨日、足湯に来た娘さん。珈琲を2杯飲み枇杷葉茶も黙って飲用、昼食は買った物だが全部平らげた。そこにハーゲンダッツのアイスとさくらんぼのプリン、蜜柑大福2個に苺も加えての食べっぷりです。いやぁ、若いって好いねぇ!料金の請求は致しません。月末に菜の花を見に行くとかで、苺大福を頼むの。四国が発祥らしいが、独特の餡が微妙に美味しい。

 自然界では、曇りの日も雨もあり風も吹くのが日常のこと。それに一喜一憂していては身体は異常に陥り、気持ちの上でも混乱を来たす。人間の思惑も多々あるが、自分を失わず信じてなら路は開けるのだと知る。真実は一つであり、沢山の物に迷わされても心を素直に保てば視えて来る。それを教えて貰えたことに感謝です。気づけたことにありがとうの心で。
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虹を観る

2022年03月15日 | Weblog
 今朝、PCを開いたら虹の写真が載っていた。何処か外国の景色ではあるが、上空に半円を描く姿が妙に気になる一枚だった。そう云えば真夜中にふと視えた景色に、不思議な物語も感じていた。何故そういった場面が出現するのかは定かではないが、とてもうれしい内容。本日の予定は、足湯に娘さんが来るのでブログの更新をしておかねばと思い立つ。

 洗濯と布団干しは必須なので、ゆっくりとしていたのだが段取りの変更を。まあ、午後からなので余裕はある。昨日の受診での結果も良好らしくて、声が弾んでいたから一安心する。図書館にも用事があり、迎え方々ドライブにも行けば木々の芽吹きと梅の香りもしてのことだろう。今日も111111が啓示してきて、一瞬波動も伝わり物事の佳き知らせ。

 風が数日で柔らかく暖かで、衣類も軽く羽織れる。昨夜、箪笥を開けてみればクリーニングの袋に入れたままのセーター類が何枚も。これは独身時代に編み機で作ったオリジナルで、デザインや色に楽しかった想いがある。似合わない色は、毛糸が余ってのを買った物で袖を通す機会は少ない。透かし編にしてあるので、春先には好いかと出してみたよ。

 すばる。元気になったのは良いが、ご飯頂戴と騒々しいのに閉口している。ちゃんと器には容れてあります。なんでよ・飼い主の食べている物を欲しがる?ゆっくりと珈琲も飲めません。今朝も足元に付き纏っている。チュールなのも分かっているが、毎度は駄目です。見える場所に置いているのですが、器に入れてないと口にはしませんからお利口です。

 PCの周辺が片付いてすっきりしたが、他の部屋も整理整頓しなければなりません。鉢物が未だ霜の降りてくる日もで移動できず、初夏の声を聴かねばで。計画倒れにならぬようにはしているが、お天気もあって混乱状態。ま・慌てても仕方なく、一日が無事に過ぎることで佳です。自然への祈りと感謝を忘れず、枇杷葉に援けられ白龍に守られての暮らし。

 
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PC周りの片付け

2022年03月14日 | Weblog
 この10日間程、PCの周辺をどうしたら使い易いか思案中だった。物を増やしたくないし、手勝手の効率を考えれば場所の移動しかない。あれをこっちに、向こうをあそこにと何度も遣り替えて今朝やっと落ち着いた。加えて、机の上をシンプルに纏めたい。メインはPC、星の本も置きたいので散々考えての結果になった。横着者の整理整頓は無駄も多いかな。

 昨夜春雷を聴き、読みかけの南総里見八犬伝を紐解く。これが面白いと云うか、場面の展開が何とも鮮やかに記憶を探る。想像と空想との狭間に翔けていけるのも愉しいもの。歴史物を読む時には、必ず旧暦での参照でないと違和感が強いのよ。新暦と旧暦の表示も用いた上で、書物は読んでくれないだろうかと思う。時代設定も、令和ではありませんから。

 昨日、明日には雨かな?と肩凝りと耳の痒さで感じた。春先の埃や芽生えを促せる雨に、祈りと感謝です。気温は平行線だが兆しに桜の開花も頷ける。一様に早く・速くと急かさないでも、春は確実に訪れており気づかないことも多い。足元に、空の色に春を感じる。あの華やぎが、これから一斉に押し寄せて来るのだ。風の吹く音色にもやさしが聴こえる。

 これからの農事には、溜まっていた作業が目白押しだが慌てずにしよう。枇杷葉の葉先に新芽も見えるが、霜が降りると呆気ない。初夏の時期を待ってなのも、古人の例えでよくしたものだと納得。無理をせず、与えられた真実を謙虚に受け止めて進もう。誰かではなくそれがわたくしであることにも、意味が深い。自然・宇宙からの啓示が届いて目覚める。

 奈良のお水取りも済み、お彼岸が近くなって心を引き締めて行く。連番の他にも、視えて来る数字があるのも不思議さを伴う。それが成就されるように、きちんと向かうことも大切なのだ。精神修行は中々であるが、怠ることなく努力を積もう。命は自分の物であって、自分の物ではないことに気づけたことの意味は大きい。何もかもでなく一つのことから。
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連番の意味する処

2022年03月13日 | Weblog
 図書館を利用していると、思わぬ出来事にも遭ってしまい内心驚きを隠せない。ここ数日の連番の不思議さも必ず意味があるとの想いであったが、心に即反応してきた。予約本で、辰巳芳子さんの書籍が届いた。題名は、いのちの食卓 です。夢中で読みましたが、どの項目もわたくしが常日頃思っていたり考えていたことばかりでとても有難い内容です。

 内容の詳しいことは読んでみて、としか言えません。読む気になるか・その本を買われるか・生返事で終わるかにも依りますが、はっと気づいて実践されたならどんなにか生き方が変わることでしょう。この頃、脳裏に浮かぶ事象が余りにも複雑怪奇だったのです。その意味が判明して、心にすっと溶け込むと同時に身体が歓んだのです。天啓だと想えました。

 自然からの恩恵に、祈りと感謝をしていさえすれば自ずと与えて貰えるのは真実です。以前にも書きましたが、わたくしの場合は金銭の受諾ではなく眼に見える形で現れて来ます。生かされていることに不平不満を云わねば、授けて下さり歓びに換わる。この世には自分の物などあり得ませんから、あらゆる凡てを宇宙から貰い還して逝くのです。杞憂はなく。

 最近は0000を多く見ていましたから、始まりと終わりも感じる。111111の意味にも、物事を起こしての出発を促されていた。信じることで進め、そこからの援けには行けば手が差し伸べられる。悩むことにも迷いさえ思わず、一歩を確実に踏みしめて往ける。暗闇に閉じ込められて、四面楚歌であった時一筋の光が視えて出られた。その光を失わずに進みたい。

 朝から薄日射す天気で、気温は18℃になっていたため暖房を止めた。暑さ寒さも彼岸まで、とは云うが真冬の寒さや温度を思えば暖かい。衣類で調整して体調を整えよう。我が家の枇杷葉を使ってのお茶やエキス作りをしていれば、困難な事柄にも対処できます。何よりも血管の掃除が的確なので、身体は疲れませんし自然からのエネルギーを充分に受けれる。

 旧暦の年金暮らしですが、自然事象を取り入れて無理のない時を過ごせるのは有難いです。従って旬の物を戴けることで、命を繋げて逝かれます。外食には行く気がしませんし、時間や気力を使うのが鬱陶しいのです。食材を選んでの料理ではなく、見た目の派手さだけで季節感はありません。何を戴いたのかという、身体の拒絶に遭いますから止めておくの。

 庭の片隅に蓬を見つけて摘み、土を落とすのにボールに水を張って浸けています。茹でて草団子を作るの。餡子や黄粉も好いけど、お醤油で戴きます。ケーキ類には閉口・添加物や防腐剤ありなのと、冷凍保存という品物は買う気も起きません。年齢と共に日本古来の作れる物が良くなって、贅沢さえ云わねば満足の境地です。宇宙から沢山の命を感謝です。
 
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春霞に・・・

2022年03月12日 | Weblog
 今朝、昨夜からの予定通りにフェンスの向こうを整頓する。詰まりは木香バラや、枇杷葉の枝葉の枯れたのを取ったりで序に草も。お昼前に出たので、通行者も車も少なくて遣れるのが好い。1時間ちょいかかっていた。お腹が空いたので中に入れば12時半を過ぎていて、昨夜のすき焼き風煮と湯豆腐に白菜と水菜の漬物で済ませる。ご飯がなかったので、すばるむくれる。

 図書館で借りた万能川柳、選者が選びに悩んだ句が皺を増やす。宮本佳則さんや水野たけしさんの句が際立ち、笑い転げてしまう。今朝の新聞にも載っていて、長い付き合いを絶えることなくに感無量。5・7・5の中に、擬縮された日常を垣間見て納得したり首を傾げたり仰け反ったりする。他人を悪し様に言うよりは、言葉の中に詠むという至難の技に開眼されることも。

 ここ数日、111111が連続している。昨日の時点では、お弁当の往復時に7777と8888に遭遇し23にも。実際ふと見た瞬間のことで、うわぁ!出たと叫ぶ。枇杷葉の効能には様々な症状への対応があるものの、拙ブログに書いていることをきちんと読まねば逆効果となる。訪問していると、実に不思議だが手に取るように分かる。旬の時期・寒中を覚えて、季節を過たない。

 我が家の枇杷葉は何処のとも違うようで、水質に因る処も大きいのだと思える。煎じた味や色が微妙に異なるのが、記載写真で分かる。地下水や自然水が良いのは元よりだが、浄化されてのもカルキ臭を抜いたのでも構いはしないが味が。或いは、寒中の時期の水であっても違うのは明白です。但し、それを強制するのもどうかと思われる。飲み比べてみると判明するのだ。

 枇杷葉の旬は、寒中の時期・旧暦での神無月 霜月 師走 を云う。特に師走には小寒と大寒が入るので、この時の作業は必ず行いたい。寒いからとしないで居て、寒中を過ぎてだと無意味にも等しい。節分までの期間を剪定して、茶葉に切るのは順次すれば良い。生葉を採るのも初夏の声を聴けば止め、神無月までを待つ。命の誕生は妨げてならないから、季節を知って。

 個人的には、旧暦での暮らしをしているため自然に添っている。寒水も保管してもいるし、この時期でないとできない作業を中心に計画を立てている。備えあれば憂いなしの諺には、心の有り方も問われる。月が満ち欠けていき、野菜等の種を蒔き発芽し育てて収穫には欠かせない。その年の出来不出来には、こういった自然現象は無関係ではない。潮も大切な役割を担う。
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八せん終わり、中潮・如月

2022年03月11日 | Weblog
 今朝も天気がよく、微睡みから目覚め布団から這い出した。光溢れるこの日を、胸に刻みつけながら昨夜の不穏な夢を想う。予知夢と云うべきかは定かではないが、近直起きることも想定しておこう。海棠の蕾も見えて来て、庭は一層の賑わいである。球根類も新芽を枯れ葉の間から持ち上げて、じっと本格的な季節の訪れを待ちわびていた思いが重なる。

 枇杷葉の効果には、個人差が否めないが分からないままで使用はどうだろう。或いは、直ぐにネット検索をして情報の偏りを信じるのは如何なものかと危惧する。情報がある意味、間違っていなければいいがそうでないならどうするのだろう?枇杷葉に携わって何十年もしてきた者でさえ、疑問も多く解明できない事象も出て来るのだ。安易過ぎると思う。

 市販品の枇杷葉茶葉の状態を詳しくは知らぬが、安心できるのは祝島です。可能な限り、無農薬に近い状態と天日乾しを行っています。上関に中電が原発設置という、無謀さを止める署名や映画にも参加しているので。或いは、現代農業で葉っぱビジネスを展開の広島地域。自宅での自生の枇杷葉であればですが、農薬散布のは問題外で自然農法に限るよ。

 枇杷葉も多々あれども風味と云うか味が全く異なりますし、旬の時期のは甘く美味しい。これは水にも多大な影響があり、自然水や地下水の旨さにはカルキ臭は論外です。但し、今までに飲み慣れて来てであれば身体には合うかもです。煎じる方法も、色々とされてみてが良いでしょう。煎じると沸かすの違いもありますから、納得し対処して下さいませ。

 文章で読むのと、写真付きでの解説とでは差も出ることと思っています。nasuさんに許可を貰っていますので観ての方が、と言われるなら訪問してみて下さい。丁寧な説明と、実に的を得た写真の並びです。他人のブログながらここまでしてみたの?と半ば感心もする内容です。独りでも多くの方が、枇杷葉に興味を持って下さり健康で豊かな暮らしを祈る。

 わたくしの記載内容での疑問や質問は常時受けますので、分かる範囲をお答えします。枇杷葉は、日本に渡ってきて何百年・奈良時代経過しているのですが謎も多いのです。無憂扇と謂われるには苦痛を取り去り・除く意味もあり、大薬王樹には薬と用いれば薬効優れとなる所以。枇杷葉をお茶で飲んでみよう、足湯や湯船に入れてみようとの思いを広げて。

 
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如月・上弦・小潮

2022年03月10日 | Weblog
 暖かいです、外に居ると汗ばむ気温ですが室内は14℃。お弁当の配達を終え、図書館に寄ると賑やかな集団に遭遇する。明日が卒業式とかで本日は予行演習、ということは高校進学で桜咲くになるんだな。おめでとう!と声かけて階段を上がるが、図書館設置の場所までを何時も気負う。いや・歩かなくては、と足をしっかり上げて行くが真ん中を通りたいんだわ。

 帰宅してデジカメを持ち出し、庭の花を撮影する。白梅・しらうめが昨日数輪だったのが、今日は沢山綻んで咲いているのもうれしい。クリスマスローズにシャッターを切れば、何と八重の濃紅のが見える。え~っ、植えた覚えがないよ。白に雀斑のも俯いて咲いているし、薄桃色のも白や赤も蕾が膨らんで来てだ。うふふ・心がワクワクとしてときめきを覚える。

 日航機の事故、明日の福島第一原発事故は人災である。人類は、神を侮り傲慢になり領域に踏み込んだ。その結果と謂わざるを得ないが、犠牲になるのは罪咎ない人々であるのが何とも悔しい。人の命は何よりも重いと言いながら、自分でなければ過ぎてしまう。心に棘を呑み込んだままの人等が居た・居ることを想うのは忘れて、自分の日常にしか至らずになる。

 今回、ページを繰ろうとしても進まずとなってしまう。活字を追うだけで精一杯なのも、涙で霞んでしまうからだ。あれから25年とあるが、出版日に今年までを足せば更に遠い記憶に繋がる。健ちゃん、ようやく辿りつけた。ごめんなさい、ずっと心の底にはあったの。正直、恐かったし向き合うことから逃げていたの。自分を取り戻せたことで、やっと遭えたね。

 昨夜は、車の中に忘れ物を思い出して外に出たら上弦前の月が観えた。何という神々しさだろう、と暫し佇みデジカメで撮影した。最近は写真添付しないが、記録では残しておきたい。今朝、111111と遭遇する。春めいて来ているから、気持ちの油断は禁物。春眠暁を覚えず、とならないように心身共に引き締めましょう。枇杷葉茶を飲用されて心機一転されませんか。

 すばるはすっかり元通りに回復して、体重も排泄も文句なしです。飼い主のご飯を横取りし、抱っこを所望するのを除けばですが…重いんです!ご飯ね、木村秋則さん指導の無農薬米なんで味が違うの。よく知ってまして、頂戴をするんです。掌に乗せてでないと口にしませんから、逃亡の期間中には何もお腹に入ってなかったことも確実に。出たそうにはしてるが。
 
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枇杷葉への想い

2022年03月09日 | Weblog
 天気は晴れで、風もそよそよなのがうれしいと庭を見れば梅が開花している。数輪だが、今日か明日かと待っていたもので気持ちが温かい。昨日、枇杷葉の剪定を思っていた数枝に鋸を入れる。フェンスの東南にあるのは、3年は育っていた物で突然枯れた。枇杷葉の種類は田中であったと記憶しているが、その時の衝撃は多大で塞込んだ。それが脇芽を出し復活。

 この枇杷葉には、命の再生が著しくあるのだと深い想いに駆られた。3年前から花芽が見え、結実して実が熟れ始め殊更にうれしくなった。我が家には枇杷葉が沢山だが、不思議な力の宿りを感じる中で強い波動も視える。其処には濃緋色の芍薬と、深紅の薔薇が植わっていてそれは見事だった。ところが枇杷葉の復活と同時に、失せてしまうが薔薇は挿し芽で開花。

 昨年には、生り年でもあったので枝がしな垂れて折れる寸前だった。甘くて美味しく、果汁がたっぷりな枇杷の実に発育した。今年は裏年なので枝の剪定を多くしたが、雄に3m近くなっておりフェンスからはみ出しているので数枝を追加で伐った。花芽も沢山見えるので、前のと換えて花瓶に挿し置いた。やさしい香りに心が満たされていくのも有難くうれしい。

 枇杷葉の花芽の匂いに魅了されてから、香りの強い花は敬遠がちである。酷い時には蕁麻疹が出て、その痒さが堪らない。嗅覚が優れているとも思えないが、花に依っては最悪状態が起きるので室内には取り込まない。花は、自然のままに季節が訪れて咲けば好いと思える。品種改良されたり、季節を先どる咲かせ方には人間の楽しみだけが優先で違和感が強い。

 足湯に訪れた娘さん、肩凝りが酷くてマッサージを所望であった。わたくしにも同じ症状が出るので実に良く分かり、改善されるとやおら調子が好くなる。すばるには餌を持って来てくれ、お八つを戴いた。158㎝なので肥ると衣類に困るが、好物には眼がない。取敢えずは、箪笥の中を着てしまいたいのでウエストは増やせない。現状維持も努力からだと知った。

 箪笥の中、モノトーンが多いのは好みの問題だが似合う色でも好きな彩でもあるの。明度と彩度のはっきり・くっきりが似合い、ラッキィカラーの白で調整する。白だけ着ると、雪女に間違われるから青や緑の装飾品を足す。スカーフを首から胸元に結べば、際立つでしょう?友達が一緒に歩くのを嫌うのは、視線を向けられてしまうかららしい。カラー判定必須。
 
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彩の不思議

2022年03月08日 | Weblog
 この世には、実に様々な色が溢れています。ご自分の持って生まれた彩を知っていますか?恐らく、知らないか気づかないでいるのではありませんか。そういうのが、視える者も存在していますが敢えて云われたこともないでしょう。決して特殊能力でもなく、ふと見た瞬間にその人から感じられるのです。後ろを通過した人が、誰か分かるのも色で視えるのです。

 辻井伸行さんが眼は見えなくても、風の色を感じられたのは心の動きなのかもしれません。音にも色がありますし、言霊にもはっきりと現れます。それがどういうきっかけなのかは説明が難しいですが、見ようとして視えることでもない。感知するのにも、心が不安定な時には現れません。自分に自信を持ち、且つ邪念を祓えた素直な状態でないと駄目なのですね。

 生きて来た間には、辛く・苦しく・悲しいことの方が多いでしょう。でもそれらが心の底にあればこそ、今の自分があることを忘れないで愛おしむ。過去に捉われるのではなく、前を向ける気持ちに素直になれば好いのだと教えて貰った。何故それが分からなかったのかは、疑心暗鬼に凝り固まっていたからなの。自分を解き放つことも必要で、気づけたうれしさ。

 自然・宇宙・森羅万象の偉大な力を、甘んじて受け取れる状態になれなければ無理なことも知った。理屈や言葉では頷くものの、自分が拒んでいたことも打撃であった。有難いこと、真実に近づける意味にも出遭え感謝するしかない。絶望の淵で視えた一筋の光を、僅かな間でも疑った自分を恥じる。その光が、永遠でないことに気づきながらも心の安寧は保てて。

 自分の好きな色と、似あう彩が全く違わないことにも驚きを隠せない。だからこそ補足の色を求めていき、枇杷葉に援けられてなのだと想い至る。不穏な色には近づけないし、何時しか離れてしまうのも不思議なのです。わたくしの持てる力を与えられ、それを受取っての方は病を回復されていく。反対に一言の相談もなく自分勝手にすると、覿面怪我や病に陥る。

 これはわたくしの意志ではなく、宇宙からの啓告に過ぎないのだと思っている。自分可愛さの行動が、相手のことや回りに配慮しなかった結果で還ってくるのだ。今日は、足湯に訪問の娘がどんな彩に転じているか。確信でもあるが、邪悪なものが付いている時には来られない。運命には逆らえないものの、避けては進めると知れて行く先に光も溢れ有難い。

 

 
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