夏目漱石の晩年のエッセイ集。まだ読んでいない本があった!と飛びつきました。
『吾輩は猫である』のインパクトが余りに強くて、漱石が飼っていたのは猫のイメージですが、実は犬も飼っていたのですね…
身体が弱った漱石が犬に声をかける。漱石が寝込んでいた1か月余りの間、姿を見せなかったからか? 飼い主の声を忘れたのか?、🐶は振り返りもしない、といいつつも気に掛ける存在が庭にいる… そんな硝子の戸から見える日常に救われていたんだろうな、とふと思う。当時は 「犬は繋いで飼う」ではなく、自由に出かけて野放し状態・・・やがて外へ出かけて行ったままで死んでしまい、首輪に漱石🏠の住所を見つけた家主から連絡が。
「こちらで埋めましょうか?」という女性に対し、
「いいえ、こちらで」と、答える漱石。使いを出して亡骸を自宅の庭まで運ばせるのです。悪戯好きで、庭に穴を掘りまくったり、やんちゃワンコだったよう。庭に埋めて... セキセイインコや金魚が死んでしまうたびに、庭に埋め、蒲鉾板に名前を書いてお墓を手作り。その内、何処が誰のお墓かも分からなくなってしまう、そんな実体験と 「いつか分からなくなるだろう」とつぶやく漱石の姿が重なりました。 時代は違えど、凡人と明治の文豪漱石❣との違いは大きくとも、親近感がわくのがエッセイというか、随筆というか…
数年前だったか、「文鳥」というエッセイを読んだ際も、情景が手にとるように浮かんだものでした… 自分の実体験と似たことも書かれてあったため、余計に。
飼い猫が生き生きと人間語を喋り、動き回る小説を書いた文豪、漱石って、いつ読んでも面白いよなぁと、改めて感じた次第です。
授業崩壊時代の話が強烈でして、時代がかぶっている自分にはちょっと…ねぇ。
タイトル通りのエッセイ集。
東野圭吾氏といえば、「マスカレードホテル」なのですが、この作家さんって、ここまでゴジラやウルトラセブン… そして海獣💖愛💖が強いとは‼
確かにウルトラの父やタロー、何やらごちゃごちゃ登場して、なんか、一般家庭みたいになっちゃってたなぁと、ふと思い出しました。この辺りはクスクス笑いました。男性が特に興味を惹く話題かも。
自分の場合、怪獣が好きな訳じゃないものの、かつての昭和ゴジラは、原爆実験を行う米国に対する痛烈な批判だったな、とか。平成版ゴジラでやっと、初代のゴジラに主題が近付いた気がしましたが。途中から確かに 善か悪か⁉ 海獣同士の戦いになってしまっていたな、と。
「違うこと」とは、人と違うことをするな、なんて 吉本ばななさんが言う訳がないしなぁ、と思いながら読み始め… (タイトルだけ観た時点で)
「周囲に合わせることなく、自分を持って!」
「自分らしいと思うこと」とは 「違うことはしないで!」
自分の人生を生きよう~というメッセージでした。納得です👍
つい最近、書かれたエッセイです。読者からの質問に答えるコーナーもあり👌
たとえば、
質問者 「親を許すことが出来ません。どうしたらいいですか?」
すでに父親を失った、ばななさんの回答は、「死んでしまったら、許すも何もない。だから許さなくても大丈夫」
どんなに憎き相手でも、いつの日か無関心の域に達すれば、大丈夫なんですけどねぇ。
(今年172~174冊目)