塩野七生さんによる”小説”です!
『サロメ』を読んでから、あまり日数が経っていないため、読むなら「今でしょ!」と手にした次第です。 実際、平野啓一郎さんの翻訳バージョンを読んだ「あと」、塩野さんの「サロメの乳母の話」を読む~ この順序が大切です(?) 2倍、楽しめました。
歴史をよく知る塩野さんが聞き取り調査でもしたかのような内容に、にんまりとしてしまいました。 歴史書は勿論のこと、歴史を素材とした「小説」や「劇」も、勝者によって 都合がよく書かれることが多いことは、紛れもない事実でしょうけど。後世の人は、特にキリスト教徒側は、ヨハネの首を取った憎らしきサロメ!ということで、あのような内容になった可能性もあり、ってことですね。
ってことで、ちょっと箇条書きにしてみます✋
❶まず、ヘロデ王は ローマ帝国が統治する属州の王であった。よってローマ帝国に逆らえない。
⇒ 危険人物として牢に捕らえたヨハネの存在をローマに知られては困る。
❷ヘロデ王はユダヤ人だった。よって、ユダヤ教にも逆らえない。
⇒ 危険人物は抹殺したいが、もし本物のメシアだとしたら? ユダヤ教に逆らうことになり、殺すことは王には出来かねる。
推測;すなわち、ローマ帝国とユダヤ教の狭間で、苦しい立場だったのではないでしょうか。
まず、あの事件が起こった日の状況ですが...
❶ローマのカエサルであるティべリウス皇帝の臣下の一行が、属州の視察に来ていた。
❷ユダヤ各地で起こっていた、救世主、メシア待望の動きをローマ側に悟られないよう、気を配らねばならなかった。
何よりもローマ視察団を満足させるため、宴の準備を自ら指揮していた。よって、娘を色目で観る余裕など無いに等しかった、筈!
サロメの乳母(ほんとは塩野さん)曰く、
「ヨハネのことがローマの役人に知られたら、ヘロデ王はそれについての釈明を逃れられないし、ヨハネの首をなぜ斬らないのか、と詰問され、それに対する返答次第で、ユダヤの王の地位を失うかもしれないのです」(38ページから略して抜粋しました)
宴は、ヘロデ王の努力もむなしく、ローマの役人たちは属州の田舎の宴では退屈していた。唯一、彼らの目を惹いたのがサロメの美しさ。「ローマにも、あれほどの美女はいないだろう」という役人たちの声を耳にした王。 そこでサロメに踊り子のまねごとをさせることを思い付く。
宴を成功させる鍵を握るのは、娘のサロメ。ローマの役人たちは、実はヨハネのことも👂に入っていた。すべてを理解していた賢いサロメは、王の求めに応じ、ヨハネの首を斬れない王に代わり、ローマの客人たちの目の前で、褒美としてヨハネの首を所望したのだった...
...
ローマ人の物語、終わりのはじまり、キリスト教の勝利、ローマ亡き後の地中海世界...etc.... と実際に見てきたかのように「読んだ」私には、塩野七生さん説の 「サロメ」の方が、納得だなぁ。
聖書の中で、サロメは名前も記されず、自分の意志ではなく、母にそそのかされて~ということになっている。それが舞台劇となると、妖艶なサロメへと変化していった...。これを元に戻そうと試みたのが、平野啓一郎訳、「サロメ」だったわけでして。 まだ幼い感じのサロメでした。
いや~ 面白いです。
両方読めて、良かったと思います。
収録作品は、古代ローマからは、『ネロ皇帝の双子の兄』『カリグラ帝の馬』『師からみたブルータス』
キリスト教からは、『ユダの母親』『イエスの弟』 『聖フランチェスコの母』
他にも、『ダンテの妻』『大王の奴隷の話』これなんて、今、読んでいる途中の『ギリシア人の物語 Ⅲ』の時代とかぶりますね。
歴史的背景を考慮した 新しい「あの有名人」の傍で見た、聞いた、誰も知らない本当かもしれない話、みたいな。 古代ローマファン、或は、塩野七生ファンにお勧めです。
面白さ倍増には読む順番があるんですね~
より過去の方を後に読むということ?
「サロメ」を日本人の女優にやらせるとしたら誰でしょう?
そうですねぇ。
一派的に知られている、『サロメ』のストーリーがあるので、まずは、それを読んでから~
次に いえいえ、実は...という塩野さんバージョンを読む方が面白いですね。
その前に、ローマ人の物語などを読んでおいたほうが、歴史的背景も、よりはっきりし、理解も深まるかと...👍
立場が変わると納得ですね~☺️
おはようございます。
サロメと言えば妖艶でしかも悪いイメージしかありません。
実の兄を殺して奥さんを奪ったり、義理の娘に色目を使ったりと、なんとも凄まじい世界を描いていると言った印象しかありません。
いつも避けて通っていたような気がします。(笑)
ギリシア人の物語の途中でまた「サロメ」が登場(?)したので私の頭の中は少し混乱気味(?)のため、思い当たる部分だけの年表を描いてみました。
ギリシア人の物語Ⅰは紀元前480年頃からのもの語りですよね、
そしてギリシア人物語のⅡに出てくるペロポネソス戦役は紀元前430年頃でしたっけ?
そしてこれから始まるすずさんの「Ⅲ」はおそらくアレクサンドロス王が登場する時代となり・・・
今日のサロメは紀元前100年以内ですよね、カエサルの名も出てきていますし・・・・
ここまで書いたら今、混乱状態から少し落ち着きました(エヘヘッ)。
今日の記事の塩野七生さんによる「サロメ」も実際に読めばすずさんの「説」がもっと良く解るかもしれませんね。
そしてふと、思いました。
「本能寺の変」や「織田信長」「明智光秀」の人物像や評価も同じく「忠臣蔵」や「赤穂義士」、そして「桜田門外の変」や「井伊直弼」の見方、評価も捉え方や角度を変えてみると・・・
という考え方に似ているのかな?・・・と。
あ、すずさん、今、千恵子選手から『ご飯ですよ~っ!』の
声がかかりましたのでここで一旦閉めます。
すべての歴史は 立場を変えると、違う景色が見えてきますよね。
私も『サロメ』を読んだ時、そういう印象を受けました。
最後にヨハネの首にキスをするなど...
卒倒しそうでしたΣ(゚д゚lll)ガーン
ただ、あれは、のちの世にキリスト教の立場から書かれた物語。
立場が変われば、こんな見方もできますよ~と塩野さんに見せて頂きました。
あの、ルビコン川を渡ったカエサルではなく、ここでは2代目の皇帝を務めた、ティべリウスがミソですね。
正確な在位期間までは記憶していなかったので、今、調べましたが、紀元14年から37年まで。
あのカエサルが自分の後継者として指名したのが、まだ19歳だった(殺害されるなんて、思っていなかったでしょうから、自分が育てる気でいたでしょうし)初代皇帝アウグストゥスで、ティべリウスは彼の養子でした。
キリスト教徒にとっては、イエスが世に登場し、処刑された時のローマ帝国の皇帝としても有名かもしれませんね。
私的には、嫁と折り合いが悪く、隠居とみせかけ島へ引き籠ってしまうものの、そこから指示を出し、統治を続け、ローマ帝国を盤石なものとした立派な皇帝の一人だった、という印象です。
古代ローマが最も、ローマらしかった時代について書かれたのが『サロメ』な訳ですが、
最初に 通説として知られているらしい『サロメ』を読んだ際、(平野啓一郎訳ですね)
ローマ人についての記述が、なんか馬鹿にしてるんですよね。ローマ人を。
ここに違和感がありました。
そして~
今回、塩野さんの「サロメの乳母の話」をよんで~
こちらは違和感ないというか、ティべリウス時代のローマなら、むしろこっち!だと思ってしまいました。
歴史は...面白いですね。
小学生のころは源氏ファンの教師に教えてもらい、
でも、「平清盛ってそんなに悪いひと?」という疑問から、調べたこと!には、
「失敗しても、それが清盛のことを思ってやった結果だと知ると、咎めたりしない優しい一面もあった」みたいな内容を書いたこともあるくらいでして。
昔から、教わったことに疑問をもちつつ、調べてみると面白いもの~それが歴史という認識ですねぇ。
(上記については、『桶狭間の戦い、観た?』という記事に小学生時代のノートの写真を貼ってあります。)
そうですね。もう~すべて、ですよ。
歴史はすべて、裏と表のみならず、それぞれの立場の数だけ、それぞれの見方がある!でしょうね。
明智光秀は、最近の大河でも描かれましたし、それが最も現れるのが、幕末の長州、薩摩でしょうね。
最初は朝廷や幕府にとって危険分子だったのに、勝てば官軍。
そしていつの時代も、人間は愚かで学ばない(歴史から)という点は時代と場所(国)を問わず共通している気がします。
失礼しました💦
blogでは端折りましたが、『ギリシア人の物語』は、
紀元前800年あたりから、描かれております。
まだ日本が誕生しない時代から~
はい、Ⅲでは、スパルタが滅び、ギリシアが滅びる~
そして王制だったため、ギリシアの都市国家からは、後進国扱いされていたマケドニアから、あのアレキサンドロス登場~となる時代へと突入していきます...が、まだここまでは到達していない私です。
お陰ですっきりしました。
いずれの本もすずさんの解説後に・・・とちゃっかり考えています。
事前の予備知識なしで読むことがいいのでしょうが、大事なポイントや何を言わんとしているのかなどの大切な点を見逃さない・・・という点では理解力のある人の読後感からヒントや考えを得るのも重要なことだと考えていますのでこれからもお世話になります。