日々のあれこれ

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虎に翼 言いたいこと、同感すること、ここにリンク

2024-11-07 22:00:33 | Weblog
 
<button class="article-image-height-wrapper expandable article-image-height-wrapper-new" data-customhandled="true" data-t="{">「虎に翼」が生んだ熱狂の中心にあったのは、怒りと勇気の輪だった(画像:NHK『虎に翼』公式サイトより)© 東洋経済オンライン</button>

さまざまな矛盾を抱える社会のなかで日々生きづらさを感じている人たちに、「虎に翼」主人公・寅子の「はて?」は、私も声をあげていいんだ、闘ってもいいんだという気づきと勇気の輪を広げ、大きな共感を得た。その影響力とは。

普段朝ドラは見ない層が反応

この4月から、いろんなところで「虎に翼」について話す人たちと出会った。面白いことに、そのほとんどが普段朝ドラは見ないという層だった。朝の忙しさに追われて、「自分向けではない」とスルーしていた朝ドラに、今回だけは反応した。それは「虎に翼」が、見る人にとって「私のための物語」だったからだ。

男女雇用機会均等法が施行されて38年。表面的には男女が平等な社会に近づきつつある。けれど実際のところ、私たちが生きているこの地平をジェンダーギャップのない楽園だと思っている人はごくわずかだろう。

埋まらない賃金格差。共働きであるはずなのに家事労働や育児の負担は女性にばかり偏り、それによって自身のキャリアを中断せざるを得なかった女性も多い。みんな、うっすらと怒っていた。でも、声を上げたところで社会は変わらないとあきらめかけていた。私一人の声なんてどこにも届かないと心をへし折られかけていた。

そんなとき、「はて?」と声を上げてくれたのが「虎に翼」だった。主人公・猪爪寅子(伊藤沙莉)とその仲間たちは、今よりずっと性差別の激しい世の中で、何度石を投げられても自分を曲げずに貫き通した。その姿に、視聴者は歓喜した。私も闘っていいんだと鼓舞された。「虎に翼」が生んだ熱狂の中心にあったのは、怒りと勇気の輪だった。

近年、坂元裕二や野木亜紀子といった作家が旗手となって、日本にもフェミニズムをベースとした映像作品は増えつつあったけれど、朝ドラというメインストリートでそれを実践したことで、ムーブメントが爆発した。「虎に翼」は、同調圧力の強い日本社会で、おかしいと思ったら声をあげていいんだという気づきを、視聴者に与えてくれた。

狭量さが私たちを「スンッ」とさせる

けれど、ただのウーマンエンパワーメントドラマなら、ここまでの議論を生むことはなかっただろう。「虎に翼」の真に恐ろしいところは、女性差別との闘いで視聴者を結託させながら、物語が進むにつれて、差別と闘う私たちもまた差別を生む社会の構成要素となっているという自覚を促したことだ。

その発端が、恩師の穂高と寅子の対立だ。妊娠が判明した途端、同じ志を持つ仲間ではなく、「いいお母さん」に仕分けした穂高のことを、寅子は最後まで許さなかった。祝賀会の場で恩師に花束を贈る役目を固辞した寅子に対し、「大人げない」と眉をひそめる声でSNS上は大いに荒れた。

さらに、仕事に邁進するあまり家事も育児も兄嫁の花江(森田望智)に丸投げ状態の寅子を「母親失格」と批判する声も日増しに激しくなっていった

これらの声が、間違いというわけではない。ただ一つ言えることは、寅子自身は最初から何も変わっていないのだ。納得できないことにおもねるようなことをしないのも、家事より勉学や仕事に燃えるタイプなのも昔から。

なんならそれらを美点とし、猪突猛進な寅子を応援していたはずだった。なのに、寅子が大人になったことで、あるいは権力を持ったことで、見方が変わる。「いい大人なんだから」とわきまえることを求め、「母親らしさ」を押しつける。女性に「スンッ」を強要していたのは、社会や男性だけではなかった。

物言う他者を「スンッ」とさせたい心が、自分たちのなかにもある。誰しもが大なり小なり「かくあるべき」という幻想を持っていて、そこから逸脱した者を糾弾する。

2024年になった今も、私たちが生きづらさに苦しめられ続けているのは、社会の構造だけが理由ではなく、自分と違う他者を認められない狭量さにあることを「虎に翼」は炙り出したのだった。

当たり前への爽快なアンチテーゼ

ただ、「虎に翼」は決して誰かを断罪するためのドラマではなかった。私たちは無自覚のうちに誰かを差別したり、善意のつもりで他者から自由や権利を取り上げたりする。でも、それらに気づくことができれば、行動は変わる。

後半に入った「虎に翼」は、これまで見えていなかったもの/見ようとしなかったものを積極的に浮かび上がらせることを試みていた。ゲイの轟(戸塚純貴)やその恋人の遠藤(和田正人)、性別適合手術を受けた山田(中村中)がその一例だ。

異性愛が一般的とされる世の中で、異性愛者はつい自分たちの物差しで物事を見てしまう。けれど、その物差しが誰しもに当てはまるものではないと気づけるだけで、世界の見え方が変わってくる。

 

先人たちの努力によって、自分にとっては歩きやすく舗装された道が、別の誰かにとってはまだまだ険しい獣道かもしれない。ならば、今度は自分が誰かのために道が歩きやすくなるよう一緒に声を上げていきたい。連帯から、連鎖へ。「虎に翼」が広げたのは、共感と支援の輪でもあった。

そして終盤では、人の幸せに決まりきった形などないということを描いてみせた。家族信仰の強いこの国で、家族が全員にとって安全な場所ではないことを美位子(石橋菜津美)の父親殺しを通して訴え、親から解放される自由を美雪(片岡凜)に託し、血縁よりも尊い絆を梅子(平岩紙)と道男(和田庵)によって証明した。

司法試験に合格しながらも法曹の道は選ばなかった涼子(桜井ユキ)や、一つのことをきわめた母・寅子とは対照的な生き方を選択した娘・優未(川床明日香)も、「最初に見た夢を叶えたほうが美しい」「世に名を残したほうが価値がある」という従来の当たり前に対する爽快なアンチテーゼだった。

「虎に翼」の影響力が真の意味で語られるとき

こうしていろんな人のいろんな人生を肯定することで、「虎に翼」は一人ひとりにとっての「私のための物語」に昇華した。このドラマと出会ったことで、世界の見え方や物事の考え方が変わった人は少なくないんじゃないかと思う。

そして、そんな人たちが誇り高き雨垂れとなって少しずつ社会をより良い方向に変えていく。「虎に翼」の影響力が真の意味で語られるのは、もしかしたらもっとずっと先のことかもしれない。何年後かに、今の自分がこう考えるのは「虎に翼」と出会ったから――そう語る人たちの数が、視聴率よりも、賞よりも、「虎に翼」という作品の価値を雄弁に語るだろう。

「虎に翼」とは、世の中を変えたいと願いながら動けずにいた硬い石のような私たちを穿つ一滴目の雨垂れだったのだ。

 
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