今日から愛知万博が始まる。
今どき万博もないだろう、と思うのだが、名古屋は気合が入っているようだ。
でも、サブ・タイトルは「愛・地球博」、つまりダジャレだ。
何だか名古屋らしい中途半端さを感じる。
トヨタの力で、動員数はかなりの数に上るのだろうが、それほど盛り上がるとは思えない。
さて、そんな中、われらが天声人語子は、社費を使ってでも行きたいようだ。
出だしはパリ博覧会の話。
普通に「今日から愛知万博が始まる」で始めればいいものを、高橋クンはそんなレベルの低い書き方などしない。
「まずは、起承転結の起だ。ゼッタイに、本題にすぐ入ったりはしないぞ」というポリシーを感じる。
それに、わざわざ夏目漱石まで登場させてくる。
でも、次の引用は何のためだかよくわからない。
『「今日ハ博覧会ヲ見物致候ガ大仕掛ニテ何ガ何ヤラ一向方角サヘ分リ兼候名高キ『エフエル』塔ノ上ニ登リテ四方ヲ見渡シ申候是ハ三百メートルノ高サニテ人間ヲ箱ニ入レテ綱條ニ(テ)ツルシ上ゲツルシ下ス仕掛ニ候」』
読みにくいことこの上なし。
これは読者に対するイヤガラセか?
しかし、まだ本題には入らない。
次は大阪万博。
この時の入場者数は驚異的な数字で、今回の愛知万博がこれを越えることはあり得ないだろう。
でも、高橋クンはこの大阪万博が気に入らなかったみたいで、テーマにケチをつける。
『70年の大阪万博では「人類の進歩と調和」だった。(中略)しかし科学や産業がもたらした公害は、深刻になっていた。「調和」の方には、とってつけたような感がある』
「とってつけたような感がある」って、いくら何でも、この言い方は失礼だろう。
そして、ようやく愛知万博に触れる。
でも、たったの4行(ネット版の場合)
しかも意味がわからない。
『テーマは「自然の叡智」だという。人間による「調和」の達成は無理とわかったので、今度は自然を頼りにしたいとも読める』
人間による調和の達成は、なぜ無理なのか、そのへんの説明はない。
しかも、もともとは「人類の調和」であって「人間による調和」ではない。
さすがに捏造のアサピーだけあって、言葉まで勝手に作り変えている。
さらに『「人間の」叡智と言わず「自然の」としたところには、「人類」が過去を省みている様が思い浮かぶ』って、そんなの勝手に思い浮かぶなよ。
そして、最後はまた漱石に戻る。
『漱石は、博覧会は十日や十五日見ても大勢を知るのが関の山、とも書いている。そうだとしても、大勢の一端を知りに、でかけてみたい』
私の頭が悪いのか、申し訳ないが、ここに引用された漱石の言葉の意味がわからない。
高橋クンは、頭がいいのでよくわかっているようだが、結局のところ、今回の天声人語で何が言いたいのかよくわからない。
「愛知万博に行ってみたい」ということか?
これも、ぜひ大学入試の問題にしてほしい文章だ。
今どき万博もないだろう、と思うのだが、名古屋は気合が入っているようだ。
でも、サブ・タイトルは「愛・地球博」、つまりダジャレだ。
何だか名古屋らしい中途半端さを感じる。
トヨタの力で、動員数はかなりの数に上るのだろうが、それほど盛り上がるとは思えない。
さて、そんな中、われらが天声人語子は、社費を使ってでも行きたいようだ。
出だしはパリ博覧会の話。
普通に「今日から愛知万博が始まる」で始めればいいものを、高橋クンはそんなレベルの低い書き方などしない。
「まずは、起承転結の起だ。ゼッタイに、本題にすぐ入ったりはしないぞ」というポリシーを感じる。
それに、わざわざ夏目漱石まで登場させてくる。
でも、次の引用は何のためだかよくわからない。
『「今日ハ博覧会ヲ見物致候ガ大仕掛ニテ何ガ何ヤラ一向方角サヘ分リ兼候名高キ『エフエル』塔ノ上ニ登リテ四方ヲ見渡シ申候是ハ三百メートルノ高サニテ人間ヲ箱ニ入レテ綱條ニ(テ)ツルシ上ゲツルシ下ス仕掛ニ候」』
読みにくいことこの上なし。
これは読者に対するイヤガラセか?
しかし、まだ本題には入らない。
次は大阪万博。
この時の入場者数は驚異的な数字で、今回の愛知万博がこれを越えることはあり得ないだろう。
でも、高橋クンはこの大阪万博が気に入らなかったみたいで、テーマにケチをつける。
『70年の大阪万博では「人類の進歩と調和」だった。(中略)しかし科学や産業がもたらした公害は、深刻になっていた。「調和」の方には、とってつけたような感がある』
「とってつけたような感がある」って、いくら何でも、この言い方は失礼だろう。
そして、ようやく愛知万博に触れる。
でも、たったの4行(ネット版の場合)
しかも意味がわからない。
『テーマは「自然の叡智」だという。人間による「調和」の達成は無理とわかったので、今度は自然を頼りにしたいとも読める』
人間による調和の達成は、なぜ無理なのか、そのへんの説明はない。
しかも、もともとは「人類の調和」であって「人間による調和」ではない。
さすがに捏造のアサピーだけあって、言葉まで勝手に作り変えている。
さらに『「人間の」叡智と言わず「自然の」としたところには、「人類」が過去を省みている様が思い浮かぶ』って、そんなの勝手に思い浮かぶなよ。
そして、最後はまた漱石に戻る。
『漱石は、博覧会は十日や十五日見ても大勢を知るのが関の山、とも書いている。そうだとしても、大勢の一端を知りに、でかけてみたい』
私の頭が悪いのか、申し訳ないが、ここに引用された漱石の言葉の意味がわからない。
高橋クンは、頭がいいのでよくわかっているようだが、結局のところ、今回の天声人語で何が言いたいのかよくわからない。
「愛知万博に行ってみたい」ということか?
これも、ぜひ大学入試の問題にしてほしい文章だ。
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