老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

イムジン河  水清し

2016-01-12 12:59:12 | 俳句
 お隣の国の困った 金さん。
不健康な小太り、でもって変な髪型をし、33才と云われているが、全く若さが無い。
帝王学を学んだのだろうけれど、帝王学も失敗すると低王学になる。困ったものだ。

お山の大将が 
「天に向かって唾を吐く」
を地でいっている。
国民が疲弊困憊している中で、人民を顧みることはしないで、戦争ごっこを仕掛けてくる。

美しい女性達を集めて、お色気楽団を作ったり、白い馬に乗って、(とても白馬の騎士とは言い難い)走ってみせたり。 ( ロシアの プーチンさんも馬に乗って肉体美を振舞して見せる。)
国民に偉大であると存在感をアピールしているが、他国から見ると、子供のお遊びにしか見えない。
これが、大変なのだ。
周辺の国に、何をしでかすか判らない、じゃじゃ馬が鉄砲を持って、刀を振りかざしてだだをこねているのを、野放しにしているのと同じなのである。

 数年前に韓国へ観光旅行に行った。
その時、イムジン河沿いにある、韓国と北朝鮮の境界線の自由の橋と統一展望台の見学に行った。
ソウルのホテルから、車で一時間少しで行ける。
統一展望台に近づくとイムジン河に沿って車は走る。
河に沿って、何重かしらの鉄条網がはっている。
100メートルくらい毎に、監視ボックスが建っている。
イムジン河は我が故郷の吉野川のよう。滔々と流れ、鉄条網や監視ボックスが無ければ、平和そのものの川である。(川幅はかなり広い)

統一展望台に登ると、河一本はさんで向いの北朝鮮がすぐそこに見える。赤茶けた、丘、はげ山か。開豊郡の農村地帯だそうである。
望遠鏡で覗くと、3~4階建ての、アパートのような建物が並んでいて丘陵には人影も見える。
こちらから見えるので、裕福を装っている土地の成りらしい。(そんなこと、皆さん承知)

イムジン河に架っている、唯一の橋「自由の橋」の近くへ。
1953年に朝鮮戦争の休戦協定が締結された後、戦争捕虜たちが「自由万歳」と叫びながらこの橋を渡った。
それで、この名前がついた。
中洲があって、そこには、麦秋の季節。麦が金色に実っていた。
韓国側の、のどかな農村風景。哀しい歴史や、今も続いている戦争状態のことを忘れる。
向うから吹く風もこちらの岸から向うへ届く風も、麦の穂を揺らす、優しい風である。

「悲しくてやりきれない」や「イムジン河」
のメロデーが、浮かんでくる。

「悲しくてやりきれない」
   サトウハチロー作詞
   加藤和彦 作曲
(一)                  (二)
胸にしみる空のかがやき          白い雲は流れ流れて           
今日も遠くながめ涙をながす        今日も夢はもつれわびしくゆれる
悲しくて悲しくて                悲しくて悲しくて 
とてもやりきれない              とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを         この限りないむなしさの         
だれかに告げようか             救いはないだろうか


 私が行った時は、低王の、お父さんがまだ生きていた頃である。

イムジン河水清く
水鳥自由に群がり飛び交う
北の大地から南の空へ
誰が祖国を二つに分けてしまったの

亰都の松山猛さんの 訳詞 の言葉のところどころを書き写した。
北から南を想った 詞 だそうだ。、この鳥も空を自由に行き交うことができるのに、、
祖国を二分した戦争の不条理さ。哀しみの 詞 を聞くと心が萎えてくる。

フォーク・クルセダースが 歌ったが一ヶ月で発売禁止になった経緯の、この「イムジン河」の歌をイムジン河の辺で、思い出した時は、朝鮮半島の人間ではないけれども、胸にこみ上げてくるものがあった。

太っちょの低王君。
この歌を、この地で聞いてみて。歌ってみて。
ドンパチ、ドンパチは止めて。
お父さんだと、どうするか、冷静に考えて。
青い空、白い雲、やさしい風、金色に実る麦畑。
一度すばらしい、北の大地で自然を満喫してみて。
爆弾なぞ、虚構の物は捨てて下さいな。

軍事境界線に沿った河であったけれど、印象に残った美しい河であった。
ほんとうに、昨今の金君の行動をみると、やりきれない。

コメント
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