老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

中国で残留の方

2016-01-18 23:48:40 | 俳句


 今朝の 姫。
食事も終わった。
うんちも済んだ。
ストーブは燃えている。
椅子には、姫 の電気毛布が敷かれている。
ああ眠たい。眠い。
だのに、おっかさんが、ちょかいをだしてくる。



喉の下におっかさんが手を持ってくる。
おお 姫 可愛い可愛いと喉に触れてくれるが、もう堪らない。
眠いんです。眠ります。

頭を胸のところに入れて真ん丸になって、寝てしまった。
幸せな 姫 の姿。癒される。

           

今朝は冷たかった 。
病院で定期健診と、動脈硬化の検査がある日なので、いつもより早目に朝の支度を終える。

庭の隅には、霜が降りていた。
関東、東北は、昨夜から、大雪の情報を盛んに伝えている。
四国は、午后から雪になると予報は伝えていた。
今まで、暖かい日が続いていた。着る物も昨年に比べ、ブラウス一枚程度は減らしていた。
しかし今日の冷え込み。厚手のセーターに、カーデガンの重ね着をする。
色々、検査をしたり、診察があるから、病院へ行く時は身に着けるものに、注意を払う。

      

 20年くらい前、内の疾患で10日程入院をした。
その時、同じ病室で、それ以来のお知り合いになった方。
中国残留孤児の方であった。
聞けば、年齢は私と同じ。
始めは、私より20才も年上だと思っていた。お婆さんに見えたのだ。
旦那さまは中国人で、結婚して、子供を二人もうけた。
詳しいことは忘れたけれど、二人の内、一人は男の子供さんで、東京大学で学んでいると言っていた。自慢の息子さんである。いくら自慢をしてもしすぎるという事はない。
自慢のできる優秀な息子さんである。。
その方は病院に、来なかったけれど、もう一人の娘さんがお母さんのお見舞いに来た。
理知的な顔立ちで、髪を一つにまとめ、言葉使いは優しく、かしこそうな方であった。
皆、病気で入院をしているから、他人さまどころではない。じろじろと、見たりもしないし特に興味を持ったり、必要以上に立ち入ったりもせぬ。
記憶も確かではないが、お母さんの容貌と娘さんのギャップに驚いた。
日本で育った、お子さんは、苦労もあっただろうけれど、普通のそれなりの若者である。
お母さんが中国で送った期間の苦労は、顔の皺の数になって、あらわれていた。
ご主人が日本語がしゃべれないので、入院中は家で一人になることに、気をまわして、心配をしていた。

その方と今日は一緒になった。
同じ病気だったから、ほんの時たま、待合室で会う。
挨拶をかわし、近況を聞く程度になっている。
病院は、お互いに血液の検査だとか、尿の検査で、席を温める暇は無いし、、予約時間が違っているから、話込むことはめったにない。

自分はこうやって、病気持ちだけれど、他の家族は元気でやっていますと、言っていた。

その方、私が初めて会った時の容貌のまま。姿、形はあの時と余り変化していないのだ。
私は、ずいぶんと年をくって、老けている。じぶんでも、鏡を見るのがいやなくらいに。

中国から持って帰った苦労の第一印象のまんま。今もあの時から時間が止まった感じなのである。
彼女に接すると、言わずもがな、中国での生活が今でも想像できる。

戦争は、恐ろしい。
残留孤児でなければ、彼女は違った人生をおくっただろう。
容貌で、人間を判断はしないが、何と気の毒だったと、苦労がこんなに見た目にまで、現れるのかと、いつも、気が滅入る。
元気(病気持ち)だけれど、まず今日が平凡でいられて、良かったと彼女と話をしながら思った。





コメント
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