老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

選句は批評である。

2016-08-02 09:31:13 | 俳句
          🐢    街の川蝉が流れて来たるかな

          

>俳句の新しさとは言葉の新しさでではなく、世界の新しさ。
インターネット句会での、主宰の言葉である。
単純化と季語偏重が最も大切だ、がモットー。


全国には俳句結社が900もあるそうだ。
たまたまその中の一社に属し、末席で勉強させてもらっている。

何百万人の俳句愛好者がそれぞれの結社に入会をして、又は俳句の総合雑誌に投句をしている。
7句投句し、七句掲載する結社。
七句投句で、5句、と結社によってさまざまに俳誌に掲載をしている。
我が所属している結社は主宰に5句、前主宰に3句、投句することができる。
他に「詠題」欄が1句、幸せな結社である。
投句をやろうと思えば全部で9句も。

9句も投句をして、選に引っかかた句はたった「1句」のことも。
行きは良い良い帰りは怖い、、、と同じで、投句は易しい選は恐い。
入学はしても卒業ができぬ外国の大学のようなもの。
厳しい結社なのだ。選句は決して甘くない。
先月も、今月も全没と続くことがある。
だからって、7句投句して7句、5句投句して5句を記載してくれる、弟子に阿る主宰の結社には今更に参加しようとは思ったことはない。

古志8月号に掲載されている「選句は批評である」文章はあえてここには書かぬ。
選を受ける私は感銘を受けている。
常に云われ続けていることである。


          


         忍性を憶ふ
      ☆    人救ふ手の涼しさよ尊さよ    長谷川櫂 
コメント
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