老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

夏の終わり

2016-08-31 07:25:49 | 俳句
       🐢    絵手紙の返事絵手紙夜の秋

       

いつも絵手紙をくれる友達がいる。
彼女の元気が伝わってきて、こちらも元気になる。
その絵手紙にお互いの健康を気遣う文言が多くなった。

       🌰    ど忘れし名前炎天に立ちすくむ
                       (八木 健 )選                            

外出先で、知り合いと出会う時がある。
少しだけ立ち話を交わすことも。
しかしとっさに相手の名前が出てこない。別れた後、二、三時間たってから名前を思いだす。
最近、とみにこんなことが多くなった。


昨日、公園で逢った人との会話。
「どこの結社ですか」
「ホトトギスです。貴女は?」
「こ し です」
「。。。。  。。」
「こし?」
「長谷川櫂さん知ってます?」
「ええ。勿論、朝日新聞に投句をやっています。彼は主宰なんですか?」
「、、、、。。。。」
「俳誌 こし はどんな字を、、、」


先だって、伊吹島へ行った時、私が手帳にメモをしていたのを、見ていたらしい。
同じ年代の方。
「俳句をやっているんですか。私も今日は吟行のつもりです」
と話しかけられた。
「どこの結社ですか?」
と尋ねられた。
「こしです」
「。。。。、、、?」
「おたくは?」
聞きなれた結社の名前を云っていた。
「主宰は長谷川櫂さんなんですけれど、知りませんか?新聞の選者なんかやっていますよ」
「私、新聞投稿などやったことないから」
と、胸を張っている素振りである。
「帰って調べます、どんな字を書きますか?」
なんだか上から目線で話しかけられているみたいである。


結社の数は900とも。
主宰は900人か。
その裾野に綺羅星の如く、掃いて捨てるほどの俳句愛好者がいる。

私が知っている結社の名前も総合俳誌で目にする程度の数。
俳人の数もしれたもの。
みんな、自分の属している結社しか知らないのは同じこと。
私が思っているほど、櫂先生も有名でないことをおもいしらされる。
良いではないか。有名だから師事して勉強をやっているのではない。学ぶことが多いし、どこのどなたよりも選が厳しい。弟子のご機嫌とりはやらない。前向きで真摯である。
自分の信じた道をゆくしかない。

吟行手帳など持っている人とベンチで隣合わせになると、いつも、お互いにフレンドリーになって、このような会話が交わされる。
しかし、こんなものよ。いつも無味乾燥の会話。解っていてもこんな会話をして、ひゃーひゃーと、ひと時を共有して別れる。

特に栗林公園には、吟行に来ている人が多い。
同じ趣味こそ持っているけれど、一期一会の人だ。つかの間の会話を交わして別れる。

      🍒    鵙高音賑はつてゐる免税店        

コメント
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