☆ 枯芭蕉厚いおむつをあてようか 川崎展宏
☆ 両の手を初日に翳しおしまひか 川崎展宏
退院が出来た。
病室で考える時間がいっぱいあり、今までの生き方を反省した?
もし、元気になれば、
ああしょうこうしょううと、真摯に向いあったつもりであったのに
「喉元をすぎれば暑さを忘れる」
なぜか、又ブログに向かってつまらない文を書いている。
俳句ともしばらく( さ よ う な ら )のつもりであった。
が、持っていた本を捲っているとその中に、展宏先生 の終末期の俳句が載っているのを見つけた。
あの立派な先生が、、、、
☆ 表裏洗はれ私の初湯です 展宏
☆ 薺打つ初めと終わりの有り難う 展宏
どんな思いで俳句を作ったのかと想像すると、苦しくて、いてもたってもおれない気持ちになった。
展宏先生には、どこにも、接点は無いのだけれど、「俳句朝日」で何度も、特選句、入選句に取り上げていただいた。
句作りの相性がよかったのかも?
今、俳句を作りながら、一番に後悔することは、どうして「貂」の門をたたかなったのか、だと思う。
俳句に愛想をつかすことも無かっただろうし、、、、
しかし今、俳句を再開して、今の師で勉強するのは、オーバーな言い方をすれば、運命かなと思ったり。
ベッドで軽い本を読んでいたその中から、展宏先生の句に巡りあうなんて、そして人生の節目で感銘を受けるとは。
素直になれた。
そこら、ここらにいっぱいころがっている小さな石ころごときの俳句愛好者が、たかが俳句されど俳句ごときに真剣になるな。
「自分に厳しく他人にやさしく俳句を作れ」と死を目前の 展宏先生 の俳句に向き合う生き方に教えられた気がした。
一週間、ベッドで思ったのがこの結論。
明日から又ブログを書こう。
俳句も楽しくやろう。
生かされた命を大切にしよう。
🍒 赤飯の栗だけつつく快気の膳
岐路に立った時、いつも良い方向に導いてくれる大いなる何かがいると後になっていつも気づく。