菖蒲の花、睡蓮を見て、公園を出口に向かう。
昨年、青葉木菟を見た辺りを通りかかると、腕章を巻いた人がいる。
公園の関係の人かと思い、
「今年は青葉木菟は来ていますか?」と声をかけた。
「いますよ、今写真を撮っています」と答えが返ってきた。
「あすこにいます。それ、あすこです」と指をさしてくれた。
小さい?なかなか見つけられぬ。
「あの 木の枝ですよ」
去年より小さく見えた。
楝の木の茂りの重なったうす暗い枝に止まっている。
後ろ姿でじっとしている。
公園の関係者と思った人はテレビ局の人で一人はカメラマン。
ここが綺麗に撮れると席を譲ってくれた。
後ろ姿しか撮れぬから、青葉木菟がこちらへ向くまで待っているのかも知れぬカメラマンも大変に根気のいる仕事だ。
「テレビのニュースで流れると、ここは見物客やカメレマンでいっぱいになり、今日でよかった。静かに撮れた」と言うと
「そんなに見に来るんですか?」と言う。
「そうなんですよ、野鳥の会の人や、カメラを抱えた人など、、、、」
今年も見ることができてラッキー。
これで、鳴き声を聞くことができれば何もいうことは無いのだが。
🍒 青葉木菟昼も小暗き楝の木
🍒 去年と同じ栴檀に来たり青葉木菟
🍒 年年歳歳変はらぬ生活青葉木菟
🍒 青葉木菟亡き子の齢を数へけり
🍒 青葉木菟紫雲にけぶる深き森