老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

しりとり俳句はやめられぬ  (NO 2)

2016-08-26 10:16:21 | 俳句
        

         🍒    初秋の庭に摘みけりブルーベリー

今朝、夫がブルーベリーを
「朝夕、水をやったけれど、少し水気が足らない、しなびている」
がと小さな籠に摘んでくれた。
最初は大な鉢に、寄せ植え感覚で飢えたブルーベリーだけれど、数年前から実をつけはじめた。少々であるけれど、味は上々、楽しく食べる。

姫 は私の留守中は オヒス をおこしてばかりいたとは想像が出来ない。
のんべんだらりと、幸せそうな顔をして、背後霊のように一刻も傍からは離れようとはしない。


入院中のしりとり俳句。
ベッドで、テレビを観ているばかりでは、本当に退屈。頭の中は空っぽで、思考能力はいつもに増して低下をしている。


      🍂    浜風の向き変はりけり猫じゃらし

      🍃    瓜畑浜に続ける白き径

      🍂    くちおしや波さらひゆくサングラス

      🍃    波に丸く瓶のかけらや秋の浜

      🍂    鷺草に風あるごとく無きごとく

      🍃    蝋細工ごと空蝉の眼かな

      🍂    砂の舞ふ雨乞ふ念仏踊かな

      🍃    お帰りと駅員笑まる帰省かな

      🍂    逃げ水を突き掃い来る対向車

      🍃    フルチンの児がとび出しく夏のれん

      🍂    稲の花杖を頼りの老遍路

      🍃    手におへぬじゃじゃ馬むすめ晩夏光


他には (5 7 5)の体をしているのみ。
おおかたほ そんな句ばかり。
皆さんに迷惑をおかけしました。
      

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しりとり俳句がやめられぬ  (NO 1)

2016-08-25 10:12:56 | 俳句
入院中の、楽しみはスマホによる「しりとり俳句」への参加。

両手の自由が、左は点滴、右手首の固定で利かない。

病院食は、ホークやスプーンを利用して、そろそろと、、が、
夫に、握り飯や、サンドイッチ、いなり鮓を売店で買ってきてもらい、指でつまんで食べる。

右手は一日で自由になる。
それを待って、スマホの「しりとり俳句」に参加をする。

16日は 京都の大文字焼きの行事をテレビで中継をしていた。
それを観ながら、何年か前の送り火の見学をしたことを思い出しながら、投句。

    🍒    松明を肩に大文字(おおもじ)の火を点けに

    🍒    大文字や容赦なく降る雨の中

    🍒    雨はげし立ち去りがたき大文字


風の盆をつなぐ。風の盆もかっての想い出が甦る。

    🍒    風の盆今宵を最後嫁ぎゆく

    🍒    盆の宿八尾はひとよさ水の音

    🍒    風の盆杉山を月上りくる


箱から
    
    🍒    添水鳴る磨きこまれた箱階段

    🍒    重箱の蓋に家紋や栗おこわ

盆から

    🍒    地蔵盆島に残れる亰言葉

    🍒    咳をして放哉思ふ盆の月

    🍒    ヨベッサン(恵比寿さん)は島の守神盆祭


「大いなる何か」は私のお守りのごとき何か。

正直いうと、しりとり俳句は何度もやめようと思ったけれど、入院中でも気がずいぶんとまぎれる。
名句とか、類想句と考えるのはニの次。
つらいことを片時忘れている。
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秋風は厨の窓からやってきぬ

2016-08-24 09:59:48 | 俳句
朝の厨に立つ。
窓から秋の風が入ってくる。
一日の始まりはここから。
もう 姫 は足元をうろうろとしていて、「ニャー ニヤァー」と話しかけてくる。
このようなことが、幸せの原点。


       

ベッドから見えるベッドの周りの景。
折しも、オリンピックの開催中。次々と金メダルを取る選手が、、、

          

白い天井を見上げては、ここは病室だ。

          


カテーテル検査が終わると夫とともに、先生から説明をうける。

パソコンの画面を見ながら、解りやすく説明をして下さる。

「いつ、救急車で運ばれて来てもおかしくない状態でした」
「検査をして、普通だと一度家に帰ってもらいます。しかし Mさん のこの状態ではこのまま入院を続けてもらいます。明後日、経皮的冠動脈形成術をやります」

左腕には、点滴の管が繋がれたまま。
右腕は、検査で動脈に入れた針か突きささったまま。固く手首を真空に縛っている。針を抜くと血が飛び出すそうだ。二時間おきに少し空気を入れる。
ほんの少しづつ、縛られている手首がの感覚が緩くなる。
この状態が明日の朝まで続く。

血管の中には、造影剤が入っているから、水をどんどん飲んで下さい。そして点滴と、、
尿の回数が半端ではない。
天井を見上げる間もなくトイレに、、、、。
看護師さんが時々、様子を見に来てくださる。
床の休まる暇がない。
これが、かえってよかったのかも。深刻に重く悲しむ間も無い。

知らぬとはいえ、伊吹島へ行き、30分も山径を登る暴挙をしようとした。
よくも、タクシーで頂上まで行ったことだ。熱中症が恐くてした選択が幸いをした。
ドクターヘリにお世話にならなくてよかったと、心の中で見えぬ大いなるものに感謝する。

姫 がつきまとって私の傍を離れようとせぬ。
鼻の頭と周囲が痒い。
病院では、検査の時以外は痒くなかった。
猫アレルギーでしょう、きっと。
それも幸福なことなのだ~。
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B G M

2016-08-23 16:40:18 | 俳句
入院検査をするまでは、命のことを真剣に考えていた。

もしもの事があれば、私 悔いのない生き方をやってきただろうか?
やり残したことは無いか?
等々と真面目に考えた。

初めは三泊四日の検査入院であった。
その検査をやる前に、誓約書なるものを書く。
もし、検査中に、血管を傷つけたり諸々のハプニングがあっても、承知おき下さいと言う誓約書に署名捺印をする。

若いイケメンの先生は、詳しく検査の手順や、失敗はないように注意を払って検査をやります、ああします、こうしますと説明をして下さる。
「おまかせします」としか答えようがないではないか。

さて、入院をして二日目に心臓カテーテルの検査を。
冠動脈造影は、腕の付け根に局所麻酔を行い、カテーテルという細い管を血管の中に挿入し、心臓まで到達させて、心臓を栄養している血管の狭窄や閉塞の程度を評価するらしい。

俎板の上の魚。
先生にお任せして手術室に入る。
主治医のイケメン先生のほかに医師らしい方が五、六名。
看護師が五、六名。

大きな機械に身体を安定させて、麻酔を右腕に打ち検査の始まり。

皆さんの話声は全部聞こえる。
全身に麻酔をやると、血管が固まって硬くなっていた場合はドリルで血管を広げるらしい。
その時、塵のようなものが、頭の血管に飛んだ場合、全身に麻酔をかけていると、患者の意識がいつの時点でなくなった判らないので、局所麻酔だそうである。
スタッフの話が全部聞こえてくる。
先生が、
「M さん、緊張をしないべ下さい 」と声をかけてくる。
「大丈夫です。音楽を聴いています」と答える。
看護師さんが
「スムースにいっています。心配しないでください」と耳元で囁いてくださる。

私はもう開きなおっていて手術室に流れている BGM に聴き入っている。
ポップス調の音楽で、最初はトルコ行進曲に似た旋律。しかし途中から全く違った曲想になる。
この BGM が何度か繰り返して流れている。

困った。
鼻の頭が痒くなった。
痒い、痒い。
両手は、自由が利かない。
痒い、困った。
音楽に耳を集中させて、痒みを忘れようとこころみる。

痒みが何となく消えた。
次はくしゃみが出そうになる。
必死でこらえる。何とかおさまる。

検査は旨くいったらしく一時間くらいで終了。

先生が
「Mさん、終わりましたよ」と声をかけてくださる。

検査は無事終了。

BGN は今後、どこで耳にしてもすぐわかるだろう。
無機質な検査室では 俳句の(は)も思わなかった。


ここで夫が診察室の先生に呼ばれる。




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何かにいつも見守られている

2016-08-22 15:26:57 | 俳句

    ☆   枯芭蕉厚いおむつをあてようか   川崎展宏

    ☆   両の手を初日に翳しおしまひか   川崎展宏



退院が出来た。
病室で考える時間がいっぱいあり、今までの生き方を反省した?
もし、元気になれば、
ああしょうこうしょううと、真摯に向いあったつもりであったのに
「喉元をすぎれば暑さを忘れる」
なぜか、又ブログに向かってつまらない文を書いている。

俳句ともしばらく( さ よ う な ら )のつもりであった。
が、持っていた本を捲っているとその中に、展宏先生 の終末期の俳句が載っているのを見つけた。
あの立派な先生が、、、、

    ☆    表裏洗はれ私の初湯です    展宏

    ☆    薺打つ初めと終わりの有り難う   展宏

どんな思いで俳句を作ったのかと想像すると、苦しくて、いてもたってもおれない気持ちになった。

展宏先生には、どこにも、接点は無いのだけれど、「俳句朝日」で何度も、特選句、入選句に取り上げていただいた。
句作りの相性がよかったのかも?
今、俳句を作りながら、一番に後悔することは、どうして「貂」の門をたたかなったのか、だと思う。
俳句に愛想をつかすことも無かっただろうし、、、、
しかし今、俳句を再開して、今の師で勉強するのは、オーバーな言い方をすれば、運命かなと思ったり。

ベッドで軽い本を読んでいたその中から、展宏先生の句に巡りあうなんて、そして人生の節目で感銘を受けるとは。
素直になれた。
そこら、ここらにいっぱいころがっている小さな石ころごときの俳句愛好者が、たかが俳句されど俳句ごときに真剣になるな。

「自分に厳しく他人にやさしく俳句を作れ」と死を目前の 展宏先生 の俳句に向き合う生き方に教えられた気がした。

一週間、ベッドで思ったのがこの結論。

明日から又ブログを書こう。
俳句も楽しくやろう。
生かされた命を大切にしよう。

     🍒   赤飯の栗だけつつく快気の膳


岐路に立った時、いつも良い方向に導いてくれる大いなる何かがいると後になっていつも気づく。



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