Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

弔意の夏~後編

2018-08-12 13:09:33 | 芸能ネタ

我国政府から全国民に宛て 渡航自粛要請中の北鮮こと朝鮮民主主義人民共和国入りしていたとされる男性邦人が、同国当局に拘束された様だ。外国旅行会社のツアーで現地入りした様だが、同国軍事関連施設の写真撮影を図った容疑があるといわれる。前述の自粛要請は 全海外旅行者に周知されていたはずであり、事実なら 先般 シリア国で武装組織に拘束されたとされる 男性報道関係者以上に「自己責任」が厳しく問われるべきだろう。

それは一方で、北鮮当局が、我国に対する外交戦略で「カード」として利用する可能性が大きくあるからだ。未だ解決をみない 戦後昭和期の 日本人複数の拉致事件の解決にも影を落とす事になりかねない。又一つ 難題が増える事となってしまったのも事実だが、拉致事件解決に前向きな安部政権は、これまで以上の慎重万全を期した上での解決処理をお願いしたい所である。当該人物は、以前にも北鮮入国の履歴があるとかで、解放され帰国の折には 警察当局は(人道面を一定踏まえた上で)是非経緯を取り調べられる様願いたい。

本題です。前回の 翁長(おなが)沖縄県知事に続き、前後して逝かれた 俳優であり 政治コメンテーターでもあった 津川雅彦さんの軌跡を 少し辿りたく思う。1940=昭和15年1月、京都府ご出身。拙者も 映画や TVドラマなどで、夫人だった 今春逝去の朝丘雪路さん共々 大いにお世話になった記憶もあり、その事への謝意も込めた「振り返り」でありたく思う。広く知られる様に、銀幕に TVに大いなる貢献をされた。拙者が一番世話になったのが、同じく故人の 伊丹十三(いたみ・じゅうぞう)さんが制作された 一連の映画出演。この内「お葬式」「タンポポ」「ミンボーの女」「大病人」の四作は 拙者も拝見している。

TV番組への貢献も大きいが、恐れながら詳細は割愛させて頂く。同氏のお名前を知ったのは 実は夫人の朝丘雪路さんより後で、これは夫人が 拙幼少の頃に嵌っていた、大橋巨泉・前田武彦の各位が司会を担われた TV番組「ゲバゲバ90分」のシリーズにレギュラー出演されていた事による。思い返せば、ボケ役も見事だった 朝丘雪路さんの芸域も、随分広かった事を今、思い知らされている所だ。

もう一つ 前述の 日本人拉致事件解決へ向けた真摯な取り組みでも知られるし、拙方も支持している所だ。ここには、津川さんが新婚間もない 1974=昭和49年、誕生直後の長女 真由子さんが誘拐事件に遭遇、二日後に辛くも救出され生還という緊迫のご経験による所が大きくあるといわれる。2013=平成25年、我国政府作成の拉致問題啓発掲示物「拉致 必ず取り戻す!」に現れる、津川さんの正義感溢れる表情は 深い共感を覚えるし、その折の記者会見では 以下のお言葉を表されている。「拉致問題を 我事の様に思える人間だと思って参加した。日本人皆が 拉致問題を一日も早く解決するという思いを、被害者の親御さんらと同じ様に持って欲しい」

ポスターに書かれた 津川さんの「親の愛は、世界を動かす。拉致問題は、私達すべての問題です」とのお言葉は、同氏を見送ったこれからも、これまでと変わらず 我々が心に刻むべきものだろう。拙者は「拉致問題」という呼称が嫌いで「拉致事件」の文言を使わせて頂いている所だが、とまれ この事件が全面解決するまでは。

「北」の日本人拉致事件は、津川さんの生前には 遂にその日を迎えられなかったが、速やかに「その日」を確実に引き寄せる事が、残された我々の大きな一つの「務め」と心得るものだ。それまで、夫人の朝丘雪路さんと共に、彼岸の地から 静かに見守って頂ければとも思う所。今回画像は、その事件発生の一地点でもあった 新潟県柏崎市内の JR信越線を行く 今は運行を終えた金沢~新潟間特急「北越(ほくえつ)」の様子。今は 北陸新幹線の金沢開業に伴い、新潟・上越市内の「上越妙高駅」で乗り換える格好となっている次第。改めて、津川さんご夫妻に 謹んでの弔意を表すものであります。

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音楽家 松岡直也さんを偲ぶ

2014-05-18 23:42:53 | 芸能ネタ

コナサン、ミンバンワ!この所の、中国大陸の強引な海洋政策の影響で、同国南隣のベトナム国にては、強い国民的反発を招いている様だ。南シナ海のベトナム国領海内で、中国大陸側が、石油試掘を強行したのが原因の様で、ベトナム国内にては、抗議デモが暴動化、大陸のみならず、本来は無関係の台湾や我国の関係企業もとばっちり被害に遭った様であるのは遺憾。さすがに、ベトナム国当局もデモ規制に乗り出した様だが、尖閣領有や東シナ海の海洋権益の問題を抱える我国も、無関係ではないはずで、何とかベトナム、フィリピンの両国を初め、中国大陸と領土や権益で摩擦を抱える諸国と、できる連携や協力を模索したい所だ。それが、中国大陸の強硬姿勢への健全な牽制ともなるだろうし、対等な立場での、関係正常化にも道を開く事だろう。まあ、完全な正常化とは参らないかも知れないが。

さて国内。「失楽園」などの恋愛作品で知られる作家 渡辺淳一さんの訃報が良く話題になるのは知っているが、俺としては、前後して逝去された音楽家 松岡直也さんの思い出を記させて頂きたい。

ピアノ奏者として半世紀を超える軌跡を残され、又、作・編曲家として我が歌謡界にも大きな貢献をされた同氏は、1937=昭和12年5月、横浜のご出身。幼少より独学にてピアノ演奏を会得、ジャズ系の方だったが、中南米系の所謂ラテン音楽の影響が強く、1975=昭和50年頃から後は、ラテン系ジャズ、もしくはフュージョン系の大家として広く知られる様になる。

俺が同氏を知ったのは、1983=昭和58年頃、「午後の水平線」と言う作品(勿論当時はLPのAD)を入手したのがきっかけだったと心得る。初めの内、その余りに強烈なラテン色について行けず、一度は売却を考えたものだが、数回繰り返して聴く内に、何かしら良さが理解できる様になって、結局今日まで手元に残っている次第。後の作品「夏の旅」や「日曜島へ」も保有しており、これからの夏場には、ギターの高中正義、サキソフォンのMALTAの各位と並び、俺にとっては欠くべからざるアイテムともなっている。と申して、最近は雑事が忙しい事もあり、中々に音楽自体と向き合う機会が持てないでいるのも事実だが。

平成に入ってすぐの1990年頃の夏だったろうか。偶然に、当地都心の栄にて、松岡さんのバンド「松岡直也グループ」の無料ライブを拝聴する機会に恵まれ、代表作「ワン・ラスト・フェアウェル」など数曲を楽しめたのは、今も良き思い出だ。又この頃、公共放送N曲の音楽教育番組に、講師として出演されたのも拝見していて、松岡さんの熱の入った取組みに、改めて感銘を受けたものである。

今世紀に入ってからは、ご健康の問題もあって、音楽活動も一時程ではなかった様に思われるが、今春に入り体調を崩された様で、残念ながら旅立たれてしまった由。丁度、命日が拙誕生日と言う事実も、決して軽くない。謹んでの弔意と、これまでのご貢献に、心よりの感謝の意を表したい所。松岡先生、半世紀を超える音造り、どうも有難うございました。 P,S 以下に、松岡直也さんの代表曲の一「ミ・アモーレ」原曲のURLをリンク致しました。中森明菜さんの歌唱でも知られますね。クリックにてお聴き下さる様。

https://www.youtube.com/watch?v=xYETe06jPyU

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タモリさんの 昼と夜

2014-04-06 22:34:43 | 芸能ネタ

コナサン、ミンバンワ!2014=平成26年4月も、拙ブログを宜しくお願い致します。

先月末、開花した今季の当地の桜も既に見頃を過ぎ、明日よりは散る様を多く見る事となろう。「無常」と言う言葉の様に、季節は移ろい、桜前線も同じ所に留まるはずはなく、北を目指して移動して行く事だろう。それが真実であると言う様に。今季の当地の見頃はこれまでよりも短かった感じがするも、それも現実の事として受け入れるべきなのだろう。

さて、真実と言えば、昨年来各方面で虚偽の事共が多く生じた印象が強い。一流と言われるホテルや飲食店、食品を扱う店舗などでの産地虚偽表示に始まり、今年に入っては、視聴覚障害を抱えるとされたある作曲家が、別の作曲家に依頼した作品を恰も自身の作であるかの様に、結果として偽ったとされる事案。更に、政府系行政法人の理化学研究所の若手研究員が関わったとされる、新型細胞生成についての研究過程や資料などの虚偽疑惑など、前東京都知事や野党々首の巨額政治資金疑惑などが霞んで見える程の頻度である。最大の事案は、理化学研究所のそれだろうが、渦中の若手研究員は、不正などが許されない研究ノートの作成管理に相当の杜撰さがあったのは事実なるも、一人個人だけでなく、組織が関わった疑いが強く、又、その組織内、あるいは同研究所以外のケースにしても、個人同士などの所謂「馴れ合い」の構図があったのではないだろうか。又、当該するそれそれが、功利を焦った所もあろう。これらの問題の解明の為にも、当事者の各位は、刑事責任を問われるか否かに関わらず、我々国民市民の前に、真実を語る道義的義務を負っている様に感じるのは、俺一人ではあるまい。

さて、虚偽疑惑ばかりが続くと幻滅や失望に繋がり易いのが常の所だが、そうばかりでもない。自らの道を信じ、その多くが「真実一路」だった方もある。意外にもそれは、芸能人であった。司会者 タモリさんである。

本名を、森田一義さんと仰る。1945=昭和20年8月、福岡県ご出身。高校在学中より吹奏楽部にてトランペット演奏と司会をこなし、中退を余儀なくされた大学時代には、モダン・ジャズ研究会に所属、現在の縦横無尽に亘るご活動の原型が作られた様だ。1970年代に入った20代後半の頃、サキソホン奏者 渡辺貞夫さんの九州公演に同行の大学の同級生に面会された折の帰途、同じ宿に泊まり、部屋で談笑していたピアノ奏者 山下洋輔さんのグループの会話に合流、ここでのメンバー達との盛り上がったやりとりに山下さんが感動、当時は本名の森田姓だけを名乗って解散するも、この時の事が縁で再会、以後山下さんのグループ他との交流が続き、東京進出のきっかけとなる。

前述の事が縁で上京したタモリさんの(当時は先鋭的な)パフォーマンスの評判が、間もなく人気漫画家 故・赤塚不二夫さんの耳に入り、芸風や方向性の見極めを図った同氏は、ご自身のTV番組にタモリさんの起用を決意。番組まで日数があり、一旦帰省を望んだタモリさんを、何とご自宅に長期滞在する許可を付与した上で押し留めたのだと言う。下手をすれば、大きな間違いの元であり、当時いかに赤塚さんがタモリさんに全幅の信頼を寄せ、その才能を高く評価されていた事の証左と言うべきだろう。赤塚さんの先見性には、改めて脱帽させられる思いがするのも事実である。

この出演を無事に果たしたタモリさんの物語は、勿論ここで終わりではなかった。赤塚さんや山下さんらの引きで、芸能界本格デビューの運びとなる。1975=昭和50年終盤辺りより、夜間のTV番組をメインに露出度を上げて行く。又、前後してラジオ番組もご担当になり、「オールナイト・ニッポン」の同氏の担当日は、当時俺も楽しみにしていたものだ。この頃から放送作家 高平哲郎さんらTV族との交流も増えた様だ。

1980=昭和55年辺りに、一つ大きな転機があったと言えよう。高平さん同様、喜劇系に強い番組制作者 故・横沢 彪(よこざわ・たけし)さんらの奨めで昼間の帯番組への進出をも果たす。つい先日、終幕を迎えた人気番組「笑っていいとも」シリーズの発進。そのメイン司会に抜擢され、初期不調を見事乗り越え、31年半、8000回を超える長きに亘る番組司会を完遂するに至る。

放送ご出演初期の頃は、確かに先鋭的で際どいご言動も多く、どちらかと言えば深夜系の印象だったが、「笑っていいとも」シリーズの司会時は、その夜型カラーを早くから消し、状況に応じた臨機応変な番組の進め方のできる方だった様に思う。昼間の方は、途中からではあったが、子供達に見せても良いレベルをクリアしていたし、夜の方も、徐々に本来の知性が光るものに変わって行ったのではないだろうか。「変わらずにいる為には、変わって行かなければならない」事を、タモリさんはTV活動の中で、見事に実践されていた様に思う。だからこそ、小学生時代の事故による、片眼失明の悲運を乗り越え、TVの巨人への階段を上って行けたのではないだろうか。又若き日、吹奏楽と共に、日本武道を嗜まれた事も、同氏のその後の人格造りに寄与した所もあろうかと心得る。

もう一つは、人々との繋がりを大切にする姿勢。見る者を楽しませる一方で、一度築いた人脈を決して疎かにせず、常に手入れを怠らない真摯さが見て取れる。上辺では不勉強を装いながら、深い所ではちゃんとしっかり学んでいる。これらは、我々が本当は学ばなければならない事共の様な気がしてならないのである。だからこそ、同氏司会の番組は、長寿を誇るものが多いのだろう。「笑っていいとも」シリーズで共演したSMAPの各位や、モデル兼任タレント ローラさんらが「番組そのものが家族の様だった」と述懐されるのを聞いたものだ。

先年、赤塚さんがご逝去となった折、弔辞を詠まれたタモリさんは「家族以上の恩人」と称え、自らも赤塚さんの作品であるとされ、同氏の死を悼まれた。決して恩を忘れる事のない、尊い人としての姿勢を改めて学んだ気がしている所。「笑っていいとも」シリーズが終わり、喪失感に陥る、所謂「タモロス現象」も生じているやに聞くが、その威光は潰えてはいない。他の看板番組「ミュージック・ステーション」と「タモリ倶楽部」は少なくとも当分は継続されるし、司会者のみならず、俳優や音楽評論家など、複数の顔もお持ちだ。来年はいよいよ古希、そしてTV活動40周年の、大きな節目をお迎えになる同氏、「笑っていいとも」シリーズの司会進行完遂を心より称え、厚く一礼を申すと共に、これからのご活動のつつがなきを祈り、引き続き見守って進ぜる事としたい。

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