Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

日弁連「反日」の死刑廃止宣言

2016-10-06 11:49:54 | 社会・経済
弁護士法 第一条 (弁護士の使命)「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」

同上 第一条の二「弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序維持及び法律制度の改善に尽力しなければならない」

同上 第二条 「弁護士は、常に深い教養の保持と高い品性の陶やに努め、法令及び法律事務に精通しなければならない」

些か難しい法律の条文で恐縮だが、我々国民市民の直面する、色んな法律問題の相談役 弁護士の条件として、弁護士法は、当然あるべきレベルの事共を冷厳に定めている。本来は、冒頭の条件をクリアする、人間性も見識も高い方々だけが担える、名誉と権威ある地位のはずである。

然るに、現実はどうか。「疑わしきは、被告の利益」の原則を不当に拡大解釈して、明らかに無辜の犠牲を生じた凶悪事件にあっても、必要最低限の度を超えて、被告人を庇う弁護士が現れているのは、遺憾の極みだ。更に最近は、罪責を問われた容疑者が、弁護士が決まるまで、供述を拒むケースも増えている様だ。日本国憲法第37条「刑事被告人の権利」が、不当に拡大解釈され、犯罪者の権利保護が行き過ぎているのは明らかだ。

その様な折、明日、福井県下にて予定の、日本弁護士連合会主催の「人権擁護大会」にて、一方的な「死刑廃止宣言」の採択が強行されようとしている。国民世論のほぼ八割が死刑制度存続を認める下で、この宣言採択は「暴挙」と呼んで良い。採択に当たっては、国会与党顔負けの、強行採決となる事も懸念される所だ。

死刑廃止は、日弁連の悲願であるともされ、推進勢力は、冤罪で執行される恐れを強く主張しているのは有名な話だ。確かに、一定のリスクはあるだろうが、そこは最新のDNA鑑定や、防犯カメラ画像などに基づく証拠調べなどを徹底して行い、捜査精度を向上させる事で克服が可能ではないか。警察、検察の両組織も、大きな冤罪を再発させない努力は、それは必要だろう。

死刑廃止勢力が、事ある毎に繰り返すのが、廃止が世界の大勢であるとの見解だが、これには疑問符がつく。まず、廃止を完了しているのは、欧州連合EUだけ。欧米圏の多くは、廃止に踏み切っているが、米合衆国にあっては、半数に近い州で死刑が存続している様だ。更に、死刑制度があっても、近年執行のない国までも「廃止扱い」するなど問題の多い内容であると聞く。更にもう一つ。「報復無罪」が戒律で認められ、報復殺人は罪責を問われず、為に死刑の定めの積極的必要のない、イスラム諸国のあり様をどう見ているのか、不明朗な所大だ。何しろ、同教は、全人類の1/4に当たる、十数億人もの信徒があるのだ。その大勢力の事共が一顧だにされていないのは「おかしい」の一言である。

当地の誇る賢才、著述家 呉 智英(くれ・ともふさ)さんは、死刑廃止についての議論自体を認められたが、それに当たって「議論は認めるが、それならば『報復無罪』をセットにすべきだ」との見解を表され、死刑廃止勢力がドン退きしたとかのエピソードを、著書で披露されていた。「退く」と言う事は、死刑廃止勢力は、対立側の議論さえ認めない「言論封殺」を図っていると見られても仕方がなかろう。先の東京都議選の折、落選した鳥越俊太郎候補を応援した連携野党とその顧問弁護団が、同候補の不適切な女性問題などの追及議論を一方的に打ち切ったのは有名な所だが、その不健全な強硬姿勢は、死刑廃止を志向する弁護士勢力にも通底している様だ。

死刑廃止に当たっては、例えば今夏の、犠牲数十を生じた、神奈川県下の障害施設襲撃事件など、深刻な凶悪犯を厳しく罰する為の、恩赦特赦や仮釈放を一切認めない、厳格な終身刑の代替制定が不可欠のはずだが、これについての日弁連の踏込みは「検討する」など大甘なもの。これは、弁護士勢力に「在日」「在日華僑」などの容共特亜勢力が相当にあり、日本の司法に、同胞を殺させたくない為の策動ではないか、との指摘がある様だ。この事は、ある知人のサイトを拝見して分った事だが、事実なら、日弁連として根本的な綱紀粛正をしなければならない所だが、果たしてその姿勢があるかは疑問だ。今は多くが地下化した、極左過激勢力との「黒い繋がり」が指摘される向きも、なくはない様だ。

今回の「死刑廃止宣言」は、必須のはずの国民的議論もなされないまま、一方的に強行採択されようとしている。一説では、東京五輪及び障害五輪と同年開催予定の、刑事司法に関する国連国際会議の手土産にしたいらしいとの魂胆が見え隠れする。弁護士勢力の手柄の為に、無辜の国民市民の安寧を犠牲にする事があってはらない。死刑廃止勢力の横暴は、冒頭に掲げた、弁護士法の精神を、根底から踏みにじるものである事は、火を見るよりも明らかだ。

今回画像は、先日、JR名古屋駅で見かけた、鉄道貨物輸送の立役者 ディーゼル機関車の新旧揃い踏みの模様。手前の大きな箱型機が、これから主戦となるDF200型、奥の二機が、大阪万博の前後から主戦を努めた、引退した蒸機直系の後継だったDD51型。想えば後者は、昭和中期の高度成長期に開発され、見捨てられる瀬戸際の深刻な初期不調を乗り越え、これも又、蒸機ファンの罵倒と怒声の中、後継指名を拝命した悲運(ハード・ラック)の持ち主でした。苦闘十余年、ようやく安定した評価を得て世紀越え。今、ここに次世代の主戦を迎え、静かに一線を去ろうとしています。
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