「気をつけろ!お前、信号見てたのか?」 つい先刻だが、俺は写真ネタ探しに、金山副都心辺りへ自転車で参っていた。居所近くの繁華街、尾頭橋(おとうばし)交差点で赤信号より青信号への変わりばな、停止していた俺の自転車に、横から欧米系の若造のスポーツ・サイクルが接触した。明らかな信号無視。片言英語で恐縮なるも、俺は冒頭の文言で若造に抗議した次第。彼の反応は「進行中に信号が変わった」様な返事だったが「I,m Sorry」の様な言葉はついになし。好イメージが先行しがちな国際化だが、欧米を初めとする外国人の多くが、決して進んで自らの非を認めるものではない事を、我々日本人は留意しなければならなさそうだ。
その国際化と向き合う一環としての、将来 日本国憲法を改正する必要が生じた場合(現状でも相当にあると思うのだが)に際し、国民投票の執行を可能にする国民投票法案が、衆議院を通過、参議院にての審議が滞りなく進められれば、今期国会にての成立が濃厚となった。まずは、この法案成立に向けた安倍自公政権の尽力と、大半の野党の理解協力を称えたく思う。
そも議会民主制とは、国民市民の各位が、自らの信念と責任において、政治の代理人たる国会議員、地方議会議員を選び、この方々に政治や行政の運営を委託すると共に、自らも絶えず関心を払って国内外の事共が適切に回っているかどうか、監理して参るものではないだろうか。そうである以上、国家の最高法規たる憲法も、審査と見直しの例外にしてはならず、必要な改正に向けた投票規定の制定は当然であり、遅まきながら、法整備の時が来たと言う国民市民の、理性と冷静さをもった受け止めが大切なのだろう。
一部の左派野党は、この法制整備に反対していると言われる。ある政党などは「国民投票法制がないのは国民の総意」などと嘯いていたが、それこそ虚偽である事が、今回証明された形だろう。むしろこの連中、主要国では多い「左派非合法化」を懸念して、自勢力の都合を、多くの国民市民の利益にすり替えているのかも知れず、事実なら要注意だろう。今までが無関心過ぎと言われていた政治的無関心を糾し、その解消へと向かわせる事と、自己責任の大切さの自覚を促す事よりも、今回の国民投票法制整備への動きは有意義だ。残るは参議院審議と議決のみ。この動きを、決して後退させてはならないだろう。