コナサン、ミンバンワ!
一昨日より、当地愛知は雨模様。ちょっと長い五月雨と言った所です。
この時期の雨は「穀雨」とも呼ばれる様で、穀物を初めとする農産物の、一年の作柄に大きな影響を与える由。まあ水害にまで至らなかったのは幸いですが、恵みの雨にしてはちと多過ぎたかも。尤もこの優れない空模様も、明日午前までの様ですが。
さて、雨の絡む言葉に「晴耕雨読」と言うのがあるのはご存じかと思います。あるCafeの知友のコメントによれば「ある意味人生の理想ではないか」との事。なる程と思いましたね。
元来が農耕民族である我々日本人。
晴耕ってのは、我らが元々の天職である農業を意味します。そして雨読とは、寸刻を惜しんで学問や教養に励む事。二宮尊徳みたく、これができれば文句なしなのだが、いや~意外に難しい。
この大型連休も、少しは読書を試みた私ですが、残念ながら我が父の同年代の頃にはまだ及ばない様です。
「生涯学習」と言う言葉は、我が両親も大変好みでありますが、私なぞは修行不足もあって、言葉にするのも憚られる所がありますね。苦笑
些か言い訳を覚悟で申せば、生涯学習とは言っても、難しく考える事なく、それぞれのペースにて、日々少しずつ向上すれば良いのでは、とも思いますね。それは各自の興味の持てる分野で良いし、義務教育とは異なって、各分野平等に学習して偏らない様気を遣う必要もないと思います。ただ、これは人間として必要不可欠なバランスまで放棄して良いと言う事では勿論ない。最低限の倫理観とか品性とか(後者については、私は問題ありですねぇ。又苦笑)は当然備えた上での話であります。
それらを踏まえた上で、自ら納得できる自己啓発ができればベストではないかと、かく思う訳であります。
「晴耕雨読」長らく憧れていた我が両親は今、曲がりなりにもその真似事位はできる様になったかな、と言う所。母の負傷と言う思わぬ事態はありましたが、私も親達の軌跡を良く観察し、良い所が真似できればと今は思います。最後まで「親の背を見て子は育つ」のかも知れませんね。*(日本)*
一昨日より、当地愛知は雨模様。ちょっと長い五月雨と言った所です。
この時期の雨は「穀雨」とも呼ばれる様で、穀物を初めとする農産物の、一年の作柄に大きな影響を与える由。まあ水害にまで至らなかったのは幸いですが、恵みの雨にしてはちと多過ぎたかも。尤もこの優れない空模様も、明日午前までの様ですが。
さて、雨の絡む言葉に「晴耕雨読」と言うのがあるのはご存じかと思います。あるCafeの知友のコメントによれば「ある意味人生の理想ではないか」との事。なる程と思いましたね。
元来が農耕民族である我々日本人。
晴耕ってのは、我らが元々の天職である農業を意味します。そして雨読とは、寸刻を惜しんで学問や教養に励む事。二宮尊徳みたく、これができれば文句なしなのだが、いや~意外に難しい。
この大型連休も、少しは読書を試みた私ですが、残念ながら我が父の同年代の頃にはまだ及ばない様です。
「生涯学習」と言う言葉は、我が両親も大変好みでありますが、私なぞは修行不足もあって、言葉にするのも憚られる所がありますね。苦笑
些か言い訳を覚悟で申せば、生涯学習とは言っても、難しく考える事なく、それぞれのペースにて、日々少しずつ向上すれば良いのでは、とも思いますね。それは各自の興味の持てる分野で良いし、義務教育とは異なって、各分野平等に学習して偏らない様気を遣う必要もないと思います。ただ、これは人間として必要不可欠なバランスまで放棄して良いと言う事では勿論ない。最低限の倫理観とか品性とか(後者については、私は問題ありですねぇ。又苦笑)は当然備えた上での話であります。
それらを踏まえた上で、自ら納得できる自己啓発ができればベストではないかと、かく思う訳であります。
「晴耕雨読」長らく憧れていた我が両親は今、曲がりなりにもその真似事位はできる様になったかな、と言う所。母の負傷と言う思わぬ事態はありましたが、私も親達の軌跡を良く観察し、良い所が真似できればと今は思います。最後まで「親の背を見て子は育つ」のかも知れませんね。*(日本)*