コナサン、ミンバンワ!
2010=平成22年2月も早折り返し点。
今日は、女性より男性への愛の告白の日とされるSt,バレンタインデーであるのは有名な所。多くの幸運な殿方には、気合いの入った甘味が贈られている事でしょう。かく申す私は、もう長年選外にて、付き合い上の義理の甘味を頂ける機会はありますが。苦笑
一方、加州バンクーバーにての、冬季五輪大会も開幕。一部の競技が始まっています。速報によれば、スキー・モーグル競技の上村愛子選手は健闘なるもメダルには及ばず第4位だった由。見方によっては惜敗とも言えますが、同選手は前世期末の長野大会より着実に決勝順位を上げており、メダルを逸した事よりも、その事を多とし、称えるべきと私は見ています。又、そり競技の練習中に重大事故が発生、選手1名が落命されたのは遺憾。一言、哀悼の意を表します。
次に、現地入りした1日本選手の服装や言動に、著しく品格に欠ける問題を生じたのはご存知かと思います。
一時はこの選手の出場を取りやめる動きもありましたが、選手団長の「自らが責任を取る」事により、一転出場となった由。この事を、今朝のTV番組にてスポーツ評論家 張本 勲さんが取り上げていらっしゃいましたが「国際競技である五輪大会の日本代表である以上、必要な品格は守られるべき」とのご見解には共感できるものがありました。当然かな、と思います。
着崩した様な服装は、今の若者達の間では普通の事とされ、確かに仲間内だけのプライベートな時空にてはそれで良いかも知れない。しかし、厳粛な儀礼も必要とされる、国際試合の様な場では、そんな事では通らないでしょう。「好結果で応えれば良い」そんな問題ではありません。
当該選手は既に20歳を超え、そうした事共にても当然「大人の見識」が求められる訳です。それを理解していないと言う事は、まず同選手の両親が糾される訳ですが、映画監督の北野 武さんや文学者 福田和也さんによれば、その教育をする立場の親が壊れていて、子弟の望ましい教導ができない様であります。
私は、この報に接していてもう一つ、最近生じた事件を想起しました。それは、今月初に引退した大相撲元横綱 朝青龍関の一件でしょう。
同関が退く直接のきっかけは、飲酒にての知人男性に対する暴行沙汰だった訳ですが、秀逸な戦績の一方で、それ以前にも土俵上での立ち居振る舞いとか、負傷休場中に地元にて不適切な活動に参加したとかで、横綱の品格を問われて来た。外国出身力士である以上、そうした儀礼作法などは相撲界の現場責任者たる親方衆が教育すべきなのだが、それが徹底していなかった。
この問題は、一人朝青龍関だけの問題ではなく、外国出身横綱を適切に教導できなかった相撲界上部の不心得も糾されるべきではないでしょうか。
この様に、親や親方衆が、子弟達に対し正しい教導ができなくなってしまった背景・・・それはひとえに「戦後の教育の悪さ」に行き着くと私は見ています。
おおよそ実現の見込みのない「自由と平和」「うわべだけの平等(実は悪平等)」などと言う空想に振り回され、儀礼や年長者に対する敬意の大切さなどを説けば、すぐ「戦前軍国主義への回帰」などと騒ぎ立て、ただ妨害だけを繰り返す。まあ教育の体を成していない。こんな事が、子供や若者、我国の固有文化の担い手を目指す外国よりの志高い各位の為になるはずはなく、ここの所は我国の威信にかけても立て直す必要がある、と強く思います。
この問題につき、我々日本人が志を強く持たないと、第2の朝青龍関や此度の様な五輪選手は再び現れるだろうし、放置していては、我国の威信も怪しいものになってしまいます。
選手個人の不心得を責めるのも限界がありますが、こうした教育の不適切も大きく顧みられて良い。この原因を招いた日本教職員組合や左傾政党、それに反日的とも言える自称進歩的勢力は、その罪責を問われるべきであると強く思いますね。*(日本)*
2010=平成22年2月も早折り返し点。
今日は、女性より男性への愛の告白の日とされるSt,バレンタインデーであるのは有名な所。多くの幸運な殿方には、気合いの入った甘味が贈られている事でしょう。かく申す私は、もう長年選外にて、付き合い上の義理の甘味を頂ける機会はありますが。苦笑
一方、加州バンクーバーにての、冬季五輪大会も開幕。一部の競技が始まっています。速報によれば、スキー・モーグル競技の上村愛子選手は健闘なるもメダルには及ばず第4位だった由。見方によっては惜敗とも言えますが、同選手は前世期末の長野大会より着実に決勝順位を上げており、メダルを逸した事よりも、その事を多とし、称えるべきと私は見ています。又、そり競技の練習中に重大事故が発生、選手1名が落命されたのは遺憾。一言、哀悼の意を表します。
次に、現地入りした1日本選手の服装や言動に、著しく品格に欠ける問題を生じたのはご存知かと思います。
一時はこの選手の出場を取りやめる動きもありましたが、選手団長の「自らが責任を取る」事により、一転出場となった由。この事を、今朝のTV番組にてスポーツ評論家 張本 勲さんが取り上げていらっしゃいましたが「国際競技である五輪大会の日本代表である以上、必要な品格は守られるべき」とのご見解には共感できるものがありました。当然かな、と思います。
着崩した様な服装は、今の若者達の間では普通の事とされ、確かに仲間内だけのプライベートな時空にてはそれで良いかも知れない。しかし、厳粛な儀礼も必要とされる、国際試合の様な場では、そんな事では通らないでしょう。「好結果で応えれば良い」そんな問題ではありません。
当該選手は既に20歳を超え、そうした事共にても当然「大人の見識」が求められる訳です。それを理解していないと言う事は、まず同選手の両親が糾される訳ですが、映画監督の北野 武さんや文学者 福田和也さんによれば、その教育をする立場の親が壊れていて、子弟の望ましい教導ができない様であります。
私は、この報に接していてもう一つ、最近生じた事件を想起しました。それは、今月初に引退した大相撲元横綱 朝青龍関の一件でしょう。
同関が退く直接のきっかけは、飲酒にての知人男性に対する暴行沙汰だった訳ですが、秀逸な戦績の一方で、それ以前にも土俵上での立ち居振る舞いとか、負傷休場中に地元にて不適切な活動に参加したとかで、横綱の品格を問われて来た。外国出身力士である以上、そうした儀礼作法などは相撲界の現場責任者たる親方衆が教育すべきなのだが、それが徹底していなかった。
この問題は、一人朝青龍関だけの問題ではなく、外国出身横綱を適切に教導できなかった相撲界上部の不心得も糾されるべきではないでしょうか。
この様に、親や親方衆が、子弟達に対し正しい教導ができなくなってしまった背景・・・それはひとえに「戦後の教育の悪さ」に行き着くと私は見ています。
おおよそ実現の見込みのない「自由と平和」「うわべだけの平等(実は悪平等)」などと言う空想に振り回され、儀礼や年長者に対する敬意の大切さなどを説けば、すぐ「戦前軍国主義への回帰」などと騒ぎ立て、ただ妨害だけを繰り返す。まあ教育の体を成していない。こんな事が、子供や若者、我国の固有文化の担い手を目指す外国よりの志高い各位の為になるはずはなく、ここの所は我国の威信にかけても立て直す必要がある、と強く思います。
この問題につき、我々日本人が志を強く持たないと、第2の朝青龍関や此度の様な五輪選手は再び現れるだろうし、放置していては、我国の威信も怪しいものになってしまいます。
選手個人の不心得を責めるのも限界がありますが、こうした教育の不適切も大きく顧みられて良い。この原因を招いた日本教職員組合や左傾政党、それに反日的とも言える自称進歩的勢力は、その罪責を問われるべきであると強く思いますね。*(日本)*