Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

三重、鈴鹿最後のF-1は・・・Ⅳ

2006-10-10 00:16:39 | インポート

コナサン、ミンバンワ!

20回目を数え、ひとまずの最後と言われた鈴鹿サーキットでのF-1日本GPも世代交代を思わせるやや意外な結末をもって幕となった。まあ終わってしまったのだが、当ブログでは、以前の鈴鹿の思い出話をも交えて、もう少し続けさせて頂きたい。

今夜の話は1994=平成6年の日本GP。この年は地元イベント「祭博」が10月に行なわれた事もあり、11月初旬の開催となった。この年5月、各位ご存知の様にA・セナ選手がサンマリノGP決勝にて不慮の事態により急逝。日本、そしてホンダとも縁の深かった同選手を偲び、ここ鈴鹿でも追悼式典が執り行われたのだった。

この年の夏、F-1GPをずっと追って来たフジTVにより、セナ選手の追悼行事が東京の主会場を中心に全国の分会場を結んで行なわれ、Mアナウンサーによる重厚な司会進行の元、同選手の経歴や栄光の戦績、そして遺憾な最期の模様などが紹介され、名古屋の分会場を訪れた我々は他の会場同様、悲しみと喪失感を新たにしたものだった。プロの世界、カーレースの世界では、こうした出来事はつき物だと申してしまえばそれまでだが、正直これ程までに、勝利と栄光の為に倒れた者を言わば祀る事の大きさを感じさせられた事は今までなかった。言うなれば「靖国の想い」に似た感情を味わわされたと言う事だ。

鈴鹿での追悼式典にて、我々はこの想いを新たにさせられたと思う。亡き勇者を悼むかの様に降りしきる雨の中、セナ選手愛用のレース・カー、1991=平成3年式マクラーレンMP4/6が同選手の定位置とも言えるポール・ポジションに姿を現し、上空より飛来した、同選手のご親族の乗るヘリコプターよりメッセージが投下される情景は、10年以上を経た今も忘れ得ないものである。

レースの、勝負の面白さのみならず、その事に執念と信念を傾け続ける事の尊さを強く訴えてくれていたのがセナ選手であり、その事が同選手の軌跡を光るものにしている様に思えてならないのである。改めて、合掌・・・。

Dscn1912

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