コナサン、ミンバンワ!本当に事件事故の多い今月だが、忘れてはならないのが芸能界の重鎮、森繁久彌さんのご逝去だろう。1913=大正2年5月大阪府のご出身で享年96。一昨年初に他界した拙母方の祖父母とはほぼ同時代の方。大阪人故か、喜劇などもお得意だった様で、多くの方々がご存じの様に広く、奥深い芸域の方だった。まずは、一言哀悼の意を表したい。
俺の森繁さんにまつわる最初の記憶は、小学生の頃良く見た胃腸薬のTVCMだろう。後、余りにも有名な「知床旅情」を初め、歌唱にも取り組まれ、どの楽曲も良い感じだったのを覚えている。踏み込んだ記憶がないので恐縮だが、映画、ドラマへのご出演も記憶に残るのが何本かある。
それから忘れられないのが以前のTV番組「文化講演会」だったろうか、その中でのご講演の一節。既に昭和の後期より社会問題化していた自殺の問題に言及され「死の選択をする前に、己が何万人の人々の手を煩わして生きて来たかを考えよ」と言う意の発言をなさった記憶がある。それによると、一人の一生に動員される人手は延べ人数だと当地名古屋の全人口に匹敵する約200万人であると言う。この巨大な数字を意識する方は、実は余りいらっしゃらないのではないか。かく申す俺も、このご発言を思い返しては、この事実を想う事がたまにはあるのだ。
森繁さんは、長寿だった故に先立たれた後輩達の葬儀にて、悼辞をお詠みになる事も多かった様だ。遂にはご子息や奥方も先に逝かれただけに「なぜ俺より先に?」との想いも強かっただろう。今頃は、そうした方々とも再会を果たされたのだろうか。
これからが本番の紅葉。それらが一際美しく見える晩秋が、偶然とは言え同氏の冥界へのご出発の時期となった。想えば、良い時季に逝かれたな、とも思う。