Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

名鉄パノラマカー回顧Ⅷ

2009-08-31 22:45:09 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!2009=平成21年8月も今日限りとなった。政権交代と言う大波乱を呼んだ第45回衆議院選挙も終わり、大勝利を収めた民主党中心の連立政権樹立へ向けた動きが加速する事と思うが、民主党自体が寄せ集め世帯のみならず、連立予定の国民新党と社会民主党は明らかに立場の異なる間柄。特に外交安全保障政策を巡っての協力は難航必至だろう。ここは絶対安定多数を生かし、連立予定の両党に対し、民主単独で政権を担う事を誠意を以て宣告してはどうだろう。

さて、この選挙と日を同じくして、名物電車 名古屋鉄道パノラマカーはその生涯の全行程を終えた。想えば48年にも及ぶ長旅。昨年暮れに毎日の所定運行を終えているとは言え、今春以降の土休日を中心にした特別運行は概ね好評で、特に追いかけ撮影のカメコ達よりは毎回喝采を浴びていた様だ。

振り返るに、我国の歴史上初めて、前面のスリリングな眺めを乗る人にもたらしたパノラマカー、名古屋鉄道として初めて空気バネを用いたフル・エアサスペンションの足回りを持った出で立ちで、高い走破性と居住性の両立を果たし、高速化に貢献したパノラマカー、その展望前面と大窓のもたらす良好視界、それに鮮やかな深紅の外装で、乗る人見る人に夢と喜び、希望を運びもたらしたパノラマカー、そして俺自身にも、巨視の心と公正な思考、条件不良でも希望を捨てない強靭さを走りで教えてくれたパノラマカー。本当に、大きな、大きな足跡であった。

最晩年は急行以下の任務が多く、さすがに隠居の立場ではあったが、その鮮やかさ、艶やかさは最後まで紛れもなく特急のものだった。その英姿は現在、岡崎舞木の名古屋鉄道検車工場に先頭の2車、過日も記したが、名古屋南郊のJRA中京競馬場に先頭2、中間1の計3車、合計5車が保存され、栄光の記憶を末長く伝え続ける事となろう。昨日任務を完遂した最終4車も、中間2車の来月廃車は確定しているが、両先頭車の処遇は不明のまま。何らかの保存がされるのではとの観測も根強くあるが、叶うならそうなる事を望みたい。

とまれ、我国の歴史に残るであろう2009=平成21年8/30(日)に不帰の旅立ちを遂げたパノラマカー。最後に「さようなら!赤の風。有難う!僕らの特急」の言葉を贈り、同車の長らくの貢献への感謝と労いとしたい。

P.S  名古屋鉄道パノラマカー7000型直流電車、最終走者 第6編成7011F、有終の軌跡。津島線 須ヶ口~佐屋+尾西線 佐屋~森上 2008=H20,11/16。 名古屋本線 東枇杷島~名鉄岐阜 同年12/26所定運行にて。豊川線 豊川稲荷~国府 2009=H21,7/4。広見線新可児~御嵩  同年7/5。河和線 太田川~富貴+知多線 同左~内海 同年7/12。西尾線 新安城~吉良吉田+蒲郡線 同左~蒲郡 同年8/9。名古屋本線 金山~東枇杷島,犬山線 同左~犬山,各務原線 同左~名鉄岐阜+広見線 犬山~新可児 同年8/22。名古屋本線 豊明~金山+空港線 神宮前~中部国際空港 同年8/23。名古屋本線 伊奈~豊明 同年8/30 。(完)

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