Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

北鮮による日本人拉致事件解決の為の「継続的取り組み決意」が必要だ

2021-11-16 23:36:55 | 社会・経済

日々の忙しさに取り紛れて、危うく忘れる所だった。去る 11/15は、昭和後期に新潟市在住だった北鮮による拉致被害者のお一人、横田めぐみさんが北鮮工作員勢力に連れ去られた日であった。

事件当日から 40余年を経て、無念にも父君は愛娘との再会を果たす事なくご逝去。改めて一言の弔意を申したい。力不足は否めぬも、一部を除く 歴代日本政府の担当各位は決して手を拱いていた訳ではないと心得る。北鮮の政治工作が、我国側を上回る巧妙悪辣さであった事と、我国の特定野党勢力や左傾メディアの媚朝姿勢もさる事ながら、与党側媚朝勢力の事実上の妨害策動も 拉致事件長期化に加担したものと心得る。

岸田現政権も 北鮮度の金 (きむ) 政権との首脳会談に吝かではない様だし、事件解決へ向けての 息長い取り組み姿勢を望みたいものだ。もう多言を要しないだろうが、先日の産経新聞ネット記事を引用して 少しみて参りたい。

「めぐみさん拉致現場を初視察 松野官房長官」

北朝鮮による拉致問題担当相を兼ねる 松野博一官房長官は 11/14、新潟市を訪れ 1977=昭和 52年に 横田めぐみさんが北朝鮮工作員に連れ去られた現場周辺を視察した。

視察には、めぐみさんの弟・哲也さんも同行。松野氏は視察後、記者団に「閑静な住宅街、通学路で拉致が行われた。私は めぐみさんと同年配。誰が被害者になっても おかしくなかった」と厳しい表情で語り、早期解決を改めて誓った。松野氏は同日、被害者救出を訴える同市の集会に参加する。

当時 中学 1年生だっためぐみさんは 1977=昭和 52年 11/15夕、下校中に自宅近くで襲撃され、工作船で拉致された。2002=平成 14年の日朝首脳会談で北朝鮮は めぐみさんが死亡したと主張し、偽の遺骨や改竄した試料を提出。日本政府は早期帰国へ誠実な対応を求めている。(引用ここまで)

復習にもなるが、前述拉致事件の悪質さが甚大であるのは、横田さんを初め 拉致被害に遭われた家族が引き裂かれ分断された悲痛と共に、この悪行が 我国の独立と尊厳を大きく脅かしている方の所も決して看過できないからである。

今世紀初 被害者の一部 5名の方々が帰国された折は、一部帰国との名目から 与党を含めた媚朝勢力が  前述の方々を一度北鮮に返した方が良い様な話をした様だが、真に受ければ永久に帰れない事態もあり得たろう。これに応じなかった 当時の安倍官房長官の処断はどう譲ってもやむを得なかったと心得る者だ。

と同時に、北鮮は当時も今も 変わる事のない軍事強大化を図る先軍志向。そうである以上、同国による拉致事件解決の為には、改めて我国側もやむを得ない範囲だけでも 自衛力の裏打ちを持った外交交渉を可能にする努力を行うべきだろう。防衛力は 決して初めから積極的に行使すべきでない所も分かりはするが、外交交渉に当たり、相手側から舐められない、低く見られない様にする為にも必要な事と心得る。そうした外交、防衛の両面を 車の両輪宜しく上手く使い、拉致事件解決への継続的取り組みにも活かして頂きたいものだ。

今回画像も先年ので恐縮。新潟・山形両県境に近い 海の名勝「笹川流れ」付近の様子を。通る線路は JR羽越線。想えば、この海の辺りから拉致された方々もあった様に記憶する所。以下に 関連記事を 2件リンク致します。(私的憂国の書様) 拉致被害者を取り戻すオプションとしての軍事力 - 政治 (fc2.com) (福岡、小坪しんや・行橋市議様) 【救い出す、絶対に】めぐみさんは君が代を歌っていた(北朝鮮工作員より)【拉致を許さない人はシェア】 | 小坪しんやのHP〜行橋市議会議員 (samurai20.jp)


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