コナサン、ミンバンワ!
暦上は立冬を過ぎ、冬の時季に入りました。確かに朝晩の冷え込みは日毎に強まっており、お互い健康には留意ですね。昨日は報道などで警戒の必要が説かれているインフルエンザの予防接種を受けました。少し費用を要しはするものの、万一の場合には代えられません。やや高めではありますが、皆様も是非接種をお勧めしたい所です。
さて予防と言えば、国の安全保障にも似た様な面がある訳ですが、先月末、航空自衛隊の最高幹部である航空幕僚長が公表した論文が政府見解と大きく異なったかどで、更迭される事態となりました。確かに「先の大戦など我国の戦争は侵略戦争と言うのは濡れ衣であった」との下りは言葉が過ぎたと私も思いますが、本当に前空幕長 田母神(たもがみ)俊雄さんのご見解は全て間違いだったのか?全国紙S新聞の先日記事を引用しながら少し考えてみたく思います。
『航空自衛隊の田母神俊雄前幕僚長は「日本は侵略国家であったか」と題する論文を書いたことで更迭されたが、こうした「過去の歴史認識」に関する発言では、これまでに何人もの閣僚が更迭に追い込まれて来た。歴史認識を巡って繰り返される更迭劇は、日本が「過去の歴史の呪縛」から解き放たれない現状を物語っている。
浜田靖一防衛大臣が田母神前空幕長の更迭を決めたのは、論文に野党が強く反発、今後の国会運営に大きな支障を来す事が明らかな上「平和の党」を掲げる連立相手の公明党も、更迭を求める事が確実だったためと見られる。外交上も中国や韓国などが反発するのは避けられない。先送りされたとは言え、衆議院解散を任期満了の来年9月までにやらねばならない政府・与党としてはダメージを最低限に抑えるためには、やむを得ないと判断しての事だろう。
「過去の歴史認識」を巡る発言では、1986=昭和61年に藤尾正行文相(当時)が「日韓併合は韓国側にもいくらかの問題がある」などと発言して更迭。1988=同63年には奥野誠亮(せいすけ)国土庁長官(当時)が「第二次大戦は日本の安全のための戦いであり、侵略ではなかった」と発言、辞任した。
続いて1994=平成6年に永野茂門法相(当時)が「南京大虐殺はでっち上げだと思う」、桜井新環境庁長官(当時)が「日本は侵略戦争をしようと思って戦ったのではない」とそれぞれ発言して辞任。1995=同7年には江藤隆美総務庁長官(当時)がオフレコ懇談で「植民地時代には、日本が韓国に良い事もした」との発言が韓国の東亜日報に報道され、辞任に追い込まれた。
こうした「言葉狩り」の様な更迭劇が続くのは、健全とは言い難い。確かに田母神前空幕長の論文の内容は、政府の公式見解と異なる。しかし日本が「真の歴史認識」を構築するためにはたとえ政府部内であっても、自由に議論を交わせる土壌があっても良いのではないか。田母神前空幕長の更迭は「過去の歴史の呪縛」を示している。』
私はこの記事を取り上げるにあたり、賛否があるのは承知していましたし、問題ありとされた歴代閣僚の見解も、その多くは適切を欠くものではないかとは思います。
しかしながら「盗人にも三分の言い分」とか申す言葉もある様に、間違いではない部分もある様に思います。例えば桜井元環境庁長官のご見解「日本は(初めから)侵略戦争をしようと思って始めたのではない」は正に史実通りだと信じております。
元内閣総理大臣 中曽根康弘さんもご指摘の様に「先の大戦は、中・韓両国などアジア圏に対しては侵略の面も大きかったが、対欧米ではあくまで普通の戦闘行為であった」事を私はこの事共を考える上での価値基準にしています。
先の大戦につき、途中からは侵略行為の一面も大きかったかも知れない。しかしながらそれは、我国が政治や経済の様々な面において欧米勢から追い詰められた結果のやむを得ない所があり、そうした見地からの必要な反省と謝罪であるべきだと言う事です。そうしなければもう一方の大切な事共である国家の尊厳とか、民族固有の文化への矜持を守る事は叶わない。田母神前空幕長のご見解にしても、侵略行為がアジア以外の全世界に向かってのものの様な印象があった為に、そうした事への牽制の意味もあったのではないでしょうか。
前空幕長は今週、国会にての参考人招致にご出席の由ですが、そうした機会に是非とも誠意ある姿勢にて、ご自身の忌憚のないご見解を我々国民の前に明らかにする様お願いしたいものであります。*(日本)*
暦上は立冬を過ぎ、冬の時季に入りました。確かに朝晩の冷え込みは日毎に強まっており、お互い健康には留意ですね。昨日は報道などで警戒の必要が説かれているインフルエンザの予防接種を受けました。少し費用を要しはするものの、万一の場合には代えられません。やや高めではありますが、皆様も是非接種をお勧めしたい所です。
さて予防と言えば、国の安全保障にも似た様な面がある訳ですが、先月末、航空自衛隊の最高幹部である航空幕僚長が公表した論文が政府見解と大きく異なったかどで、更迭される事態となりました。確かに「先の大戦など我国の戦争は侵略戦争と言うのは濡れ衣であった」との下りは言葉が過ぎたと私も思いますが、本当に前空幕長 田母神(たもがみ)俊雄さんのご見解は全て間違いだったのか?全国紙S新聞の先日記事を引用しながら少し考えてみたく思います。
『航空自衛隊の田母神俊雄前幕僚長は「日本は侵略国家であったか」と題する論文を書いたことで更迭されたが、こうした「過去の歴史認識」に関する発言では、これまでに何人もの閣僚が更迭に追い込まれて来た。歴史認識を巡って繰り返される更迭劇は、日本が「過去の歴史の呪縛」から解き放たれない現状を物語っている。
浜田靖一防衛大臣が田母神前空幕長の更迭を決めたのは、論文に野党が強く反発、今後の国会運営に大きな支障を来す事が明らかな上「平和の党」を掲げる連立相手の公明党も、更迭を求める事が確実だったためと見られる。外交上も中国や韓国などが反発するのは避けられない。先送りされたとは言え、衆議院解散を任期満了の来年9月までにやらねばならない政府・与党としてはダメージを最低限に抑えるためには、やむを得ないと判断しての事だろう。
「過去の歴史認識」を巡る発言では、1986=昭和61年に藤尾正行文相(当時)が「日韓併合は韓国側にもいくらかの問題がある」などと発言して更迭。1988=同63年には奥野誠亮(せいすけ)国土庁長官(当時)が「第二次大戦は日本の安全のための戦いであり、侵略ではなかった」と発言、辞任した。
続いて1994=平成6年に永野茂門法相(当時)が「南京大虐殺はでっち上げだと思う」、桜井新環境庁長官(当時)が「日本は侵略戦争をしようと思って戦ったのではない」とそれぞれ発言して辞任。1995=同7年には江藤隆美総務庁長官(当時)がオフレコ懇談で「植民地時代には、日本が韓国に良い事もした」との発言が韓国の東亜日報に報道され、辞任に追い込まれた。
こうした「言葉狩り」の様な更迭劇が続くのは、健全とは言い難い。確かに田母神前空幕長の論文の内容は、政府の公式見解と異なる。しかし日本が「真の歴史認識」を構築するためにはたとえ政府部内であっても、自由に議論を交わせる土壌があっても良いのではないか。田母神前空幕長の更迭は「過去の歴史の呪縛」を示している。』
私はこの記事を取り上げるにあたり、賛否があるのは承知していましたし、問題ありとされた歴代閣僚の見解も、その多くは適切を欠くものではないかとは思います。
しかしながら「盗人にも三分の言い分」とか申す言葉もある様に、間違いではない部分もある様に思います。例えば桜井元環境庁長官のご見解「日本は(初めから)侵略戦争をしようと思って始めたのではない」は正に史実通りだと信じております。
元内閣総理大臣 中曽根康弘さんもご指摘の様に「先の大戦は、中・韓両国などアジア圏に対しては侵略の面も大きかったが、対欧米ではあくまで普通の戦闘行為であった」事を私はこの事共を考える上での価値基準にしています。
先の大戦につき、途中からは侵略行為の一面も大きかったかも知れない。しかしながらそれは、我国が政治や経済の様々な面において欧米勢から追い詰められた結果のやむを得ない所があり、そうした見地からの必要な反省と謝罪であるべきだと言う事です。そうしなければもう一方の大切な事共である国家の尊厳とか、民族固有の文化への矜持を守る事は叶わない。田母神前空幕長のご見解にしても、侵略行為がアジア以外の全世界に向かってのものの様な印象があった為に、そうした事への牽制の意味もあったのではないでしょうか。
前空幕長は今週、国会にての参考人招致にご出席の由ですが、そうした機会に是非とも誠意ある姿勢にて、ご自身の忌憚のないご見解を我々国民の前に明らかにする様お願いしたいものであります。*(日本)*