浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

天津甘栗について考える

2008-01-15 | 日々是好日
むけてる天津甘栗を食べてて、ふと思ったのですが、いつから天津甘栗はむけだしたのか

昔の天津甘栗は皮付きが当たり前だったような気がします。

ミキサーの中に熱い焼けた小石が入ってて、グルグル廻して栗を焼いていたような…

それをお決まりの図柄の紙袋に入れ、売ってませんでした

食べるときは栗の丸いほう(背)じゃなくて平べったいほう(腹)を縦方向につめを立て、二つに割ってましたよね。

いっぱい食べると指が黒くなってしまってね~。

食べるのに一仕事、二仕事あって食べ終わっても、もう一仕事あった天津甘栗。

むけてたんじゃその仕事が無くて誠ありがたいのですが、何か物足りないような…

しかし、落花生でもそうですね。

なかの豆を食べるのに大量の殻が出ますもんね。

ゴミにしかならない栗の皮、落花生の殻、皮無し殻無しが今の時代、これが当たり前でしょうか…

そのうち貝殻の無いしじみ汁が出来たりして。

貝殻の中から、しじみの身をほじくり出して食べるのが楽しいのに、殻の無いしじみ汁だけは食べたくないですね。

本日の一句

甘栗も むいてしまえば ゴミは出ず

失礼しました。


コメント
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