奧出雲の鉄師御三家のうちの桜井家(可部屋)、奧出雲町仁多阿井地区を拠点とする銘家ですが、かつて出雲市多伎町の山あいでも、たたらの炎を
燃やしていたそうです。

JR田儀駅から少し西側、R9の仙山峠への登り口を南へ5キロほど入った所。
田儀小学校の横を通過し、看板どおりに進むとあります。
明治15年(1882)
ここから出火、山内70戸が全焼し再起の力を失った所。

昔の面影は全くありませんが、随所に看板が立っております。

草ボーボーで、
マムシに襲われそうなのでチョット怖い。
たたら製鉄の神さま、金屋子神社は健在でした。
総本山は安来市広瀬町にありますが、全国には2000あまりの分家があるそうな。

チョット寄ってみましょう。
たたら製鉄跡地には、必ず川がありますね。
砂鉄を採るためには、川の流れを利用して鉄穴(かんな)流しの工程があるからでしょう。
清流でした
Oh
すごい階段、角度が強烈で上からロープが下ろされております。

昔の人は足腰が強かったのでしょう。
僅かに昔の面影を残す住居跡の石垣。

今ではひっそりとした山に埋もれ、訪れる人も無い所であります。
人に代わって
カエルさんが元気に暮らしております。

今晩も美しい音色で、大合唱してることでしょう。


JR田儀駅から少し西側、R9の仙山峠への登り口を南へ5キロほど入った所。
田儀小学校の横を通過し、看板どおりに進むとあります。
明治15年(1882)


昔の面影は全くありませんが、随所に看板が立っております。

草ボーボーで、

たたら製鉄の神さま、金屋子神社は健在でした。
総本山は安来市広瀬町にありますが、全国には2000あまりの分家があるそうな。

チョット寄ってみましょう。
たたら製鉄跡地には、必ず川がありますね。
砂鉄を採るためには、川の流れを利用して鉄穴(かんな)流しの工程があるからでしょう。
清流でした

Oh


昔の人は足腰が強かったのでしょう。
僅かに昔の面影を残す住居跡の石垣。

今ではひっそりとした山に埋もれ、訪れる人も無い所であります。
人に代わって


今晩も美しい音色で、大合唱してることでしょう。