出前は楽しい。
「出前をとる」ことが決まるとパッと明るくなる。
日曜日のお昼近く、何となく「今日は出前でもとろうか」ということになると、とたんには家中がはしゃぎまくる。
お父さんが天丼で、長女の愛子(高2)が天ぷらそば、長男の遼太(中1)がカツ丼で、じゃあお母さんは親子丼にしましょう。
ということになって、お母さんはイソイソと電話のところへ駆け寄る。
「もしもし、内藤食堂さん?、浜田屋ですけどぉ」
と明るい声で歌うように言う。
「…じゃぁ、お願いしまーす」
と言うと、一家の明るさはこのとき頂点に達する。
お父さんは読みかけの新聞を明るくたたみ、愛子は明るく手を洗いに行き、遼太は少し緊張してトイレに行き、お母さんは「お吸い物だけでも作りましょう」と鼻歌まじりで台所に向かう。
よく考えてみれば、出前をとるということは、それほどたいした行事ではない。
一食分をもってきてもらうだけの話だ。
しかし、「食事が外部からやってくる」という事実は、何故か人の心を浮き立たせずにおかない。
やがて台所から、お吸い物の匂いが流れてくる。
しかし…
問題はこれから先である。
日曜日の昼飯時の出前はそう簡単にくるものではない。
注文の電話から30分を過ぎたあたりから一家に暗い影がさしこみ始める。
今まで明るく華やいでいた一家の口数が、次第に少なくなってくる。
空腹感が襲い始め、家のあちこちからため息が漏れたりする。
さらに10分経ったところ、お父さんが「電話してみなさい」と重苦しく言う。
電話をするお母さんのセリフはだいたい決まっている。
わりと素直な性格のお母さんだと「出前まだでしょうか」
というセリフになり、チョット意地の悪い性格の暗いお母さんだと「さっき頼んだあれ、どうなってんの」
という針を含んだ言い方になる。
これに対する店側のセリフも大体決まっている。
「いま、出るところです」
実に何気ないセリフであるが、実はその一言に出前の歴史がこめられているのであった。
つづく…
今日もお疲れさまでした。
先日寄った奥出雲秋景色の忘れ物をアップします(^^♪
お粗末でした(*´∀`*)
「出前をとる」ことが決まるとパッと明るくなる。
日曜日のお昼近く、何となく「今日は出前でもとろうか」ということになると、とたんには家中がはしゃぎまくる。
お父さんが天丼で、長女の愛子(高2)が天ぷらそば、長男の遼太(中1)がカツ丼で、じゃあお母さんは親子丼にしましょう。
ということになって、お母さんはイソイソと電話のところへ駆け寄る。
「もしもし、内藤食堂さん?、浜田屋ですけどぉ」
と明るい声で歌うように言う。
「…じゃぁ、お願いしまーす」
と言うと、一家の明るさはこのとき頂点に達する。
お父さんは読みかけの新聞を明るくたたみ、愛子は明るく手を洗いに行き、遼太は少し緊張してトイレに行き、お母さんは「お吸い物だけでも作りましょう」と鼻歌まじりで台所に向かう。
よく考えてみれば、出前をとるということは、それほどたいした行事ではない。
一食分をもってきてもらうだけの話だ。
しかし、「食事が外部からやってくる」という事実は、何故か人の心を浮き立たせずにおかない。
やがて台所から、お吸い物の匂いが流れてくる。
しかし…
問題はこれから先である。
日曜日の昼飯時の出前はそう簡単にくるものではない。
注文の電話から30分を過ぎたあたりから一家に暗い影がさしこみ始める。
今まで明るく華やいでいた一家の口数が、次第に少なくなってくる。
空腹感が襲い始め、家のあちこちからため息が漏れたりする。
さらに10分経ったところ、お父さんが「電話してみなさい」と重苦しく言う。
電話をするお母さんのセリフはだいたい決まっている。
わりと素直な性格のお母さんだと「出前まだでしょうか」
というセリフになり、チョット意地の悪い性格の暗いお母さんだと「さっき頼んだあれ、どうなってんの」
という針を含んだ言い方になる。
これに対する店側のセリフも大体決まっている。
「いま、出るところです」
実に何気ないセリフであるが、実はその一言に出前の歴史がこめられているのであった。
つづく…
今日もお疲れさまでした。
先日寄った奥出雲秋景色の忘れ物をアップします(^^♪
お粗末でした(*´∀`*)