浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

出前の真実  1

2014-11-12 | 日々是好日
出前は楽しい。

「出前をとる」ことが決まるとパッと明るくなる。

日曜日のお昼近く、何となく「今日は出前でもとろうか」ということになると、とたんには家中がはしゃぎまくる。

お父さんが天丼で、長女の愛子(高2)が天ぷらそば、長男の遼太(中1)がカツ丼で、じゃあお母さんは親子丼にしましょう。

ということになって、お母さんはイソイソと電話のところへ駆け寄る。

「もしもし、内藤食堂さん?、浜田屋ですけどぉ

と明るい声で歌うように言う。

「…じゃぁ、お願いしまーす」

と言うと、一家の明るさはこのとき頂点に達する。

お父さんは読みかけの新聞を明るくたたみ、愛子は明るく手を洗いに行き、遼太は少し緊張してトイレに行き、お母さんは「お吸い物だけでも作りましょう」と鼻歌まじりで台所に向かう。

よく考えてみれば、出前をとるということは、それほどたいした行事ではない。

一食分をもってきてもらうだけの話だ。

しかし、「食事が外部からやってくる」という事実は、何故か人の心を浮き立たせずにおかない。

やがて台所から、お吸い物の匂いが流れてくる。

しかし…

問題はこれから先である。

日曜日の昼飯時の出前はそう簡単にくるものではない。

注文の電話から30分を過ぎたあたりから一家に暗い影がさしこみ始める。

今まで明るく華やいでいた一家の口数が、次第に少なくなってくる。

空腹感が襲い始め、家のあちこちからため息が漏れたりする。

さらに10分経ったところ、お父さんが「電話してみなさい」と重苦しく言う。

電話をするお母さんのセリフはだいたい決まっている。

わりと素直な性格のお母さんだと「出前まだでしょうか」

というセリフになり、チョット意地の悪い性格の暗いお母さんだと「さっき頼んだあれ、どうなってんの」

という針を含んだ言い方になる。

これに対する店側のセリフも大体決まっている。

「いま、出るところです」

実に何気ないセリフであるが、実はその一言に出前の歴史がこめられているのであった。

つづく…




今日もお疲れさまでした。

先日寄った奥出雲秋景色の忘れ物をアップします(^^♪



お粗末でした(*´∀`*)
コメント (2)
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